百日紅は花の期間が永いよう思われるが、毎日散って毎日咲くのでそう見える。7月初旬か
ら8月が終えるころまで、天を焦がすような真っ赤な花を次々と咲かせる。それは灼熱の空に
追い打ちをかけるように暑苦しいが、いちめん爽快でもある。
百日紅は花の期間が永いよう思われるが、毎日散って毎日咲くのでそう見える。7月初旬か
ら8月が終えるころまで、天を焦がすような真っ赤な花を次々と咲かせる。それは灼熱の空に
追い打ちをかけるように暑苦しいが、いちめん爽快でもある。
セミが鳴くようになると、当然ながら抜け殻も多くなる。葉の裏に取付くので目立たなく、
たまたま見つけるとうれしい。蝉にとってはこの取りつく葉っぱが第一段階の生きるよすが
であり、これに失敗するとこの後の生が続かない、大変重要である。
それにしても昆虫は、体の作りをがらりと変えるような大胆な生き方を選んだのだろうか?
(AIによる)
禅寺は厳しい修行が行われ、日常行住坐臥なにごとも厳しく厳格に行われるものと思っ
ている。そんな中で庫裏の窓辺に釣られた風鈴だけが、風任せでのんびりゆったり揺れて
いる。なんだかほっとするような思いがする。
(AIによる)
打ち水の風景はこの頃あまり見かけなくなった。あってもなにかのイベントで行われるの
が普通になった。打ち水は視覚的には涼しげに見えるけれど、まだ昼下がりに少しばかり
打ち水をしても、体感はかえって蒸し暑くなる。しかしこういう光景もまるきり消えてしまう
のも残念な気がする。
(AIによる)
山道で清冽な泉に出会えば、とにもかくにもごくごくと喉を潤したくなる。手のひらで掬っ
て飲むのもいいけれど、ちょうど傍にふきの葉っぱがある。これをくるっとまるめて手で囲
い、緑のコップで飲むのが見た目も涼し気である。
(AIによる)
今頃は随分稲も伸びて、一面青々とした青田になった。風が吹くと葉裏を返して風の行方
を教えてくれる。風はどこということもなく、気ままにあちらこちらに吹いているが、その航跡
みたいなものを見られるのは面白い。
合歓の木はあまり頻繁に見かけない木だし、その花が又独特だから貴重な木のように思
っている。花は樹幹の上に赤と白二色が鮮やかに、ほうほうと呆けるように咲いているが、
その花があまりに繊細で頼りなげに見える。歩いていてこの木を見つけると、何か拾い物
をしたような気がする。
夏の夜はすぐに明るくなってくる。明るくなれば旅を続けたい。お遍路さんでもなくても、
今日はどういう景色や人に出会えるのか、ワクワクする思いが止まらない。「旅」、観光で
なくて旅行でもなく、人との出会いが嬉しい「旅」を大切にしたいものだ。