花水木の葉が赤く染まってきた。
ほかの木々がまだ真緑だというのに、そんなことは知ったこちゃなく唯我独尊、堂々と紅
葉して憚らない。エライもんである。桜は薄茶色になって散ってゆくが、この葉っぱは鮮や
かな赤色を陽に照らして、どうだ! とばかり威張っているんである。
よくよく見れば、案に相違して、この紅葉はなかなかにきれいである。なんでもそうだ
が、よくよく見る、というのが大事である。ぼわっとただ目に映しているだけでなく、じっく
りとよ~く見る、これが大切なんだが、いつもちらっと見て、それで見た気になっている。
それではモノを見たことにならない、見るという言ことは、観察することである。観察すれ
ば、いろいろなものの本質が見えてくるのだ、と他人に教えられるのだが、これができそう
で案外できないから、いつもチラ見はいかん、観察だ、言い聞かせねばならない。
そのように考えると、今までこの永いながい年月、なあ~んにも見てこなかったような気
がする。なんだってかんだって、ちょっと見ただけで、ハイ、次行こう、という気持ちになっ
てしまい、次から次、目の端に引っ掛けただけで過ごしてきてしまった。
例えば、起きている以上何かしらを眼にして見ている。そのすべてをジイ~っと見る、つ
まり観察する、というわけにはいかない。そんなことをすれば、安物の脳みそにたちまちヒ
ビが入って、大爆発を起こしてしまう。そういうことはまずできない。
となれば、一点集中、なにかを選んでじっくりと見る、観察する、というテしかないと思う
が、この選ぶ、というのがまた難しい。なにが重要で、なにが重要でないのか、それが分か
らない。分からなければ選びようがないから、すべてはチラ見となってしまう。
じつに困ったもんである。