脇の側溝にミゾソバが咲いていた。
いつの間にか、という感じがするが、少しづつ、ほんの少しづつ自然は次の季節に移っていくらし
い。稲穂が黄金色に変わり、夏の花と秋の花が交代してゆき、日は目立たないほどだが短くなってき
た。季節は律義に、まじめに、何があろうと移り変わってゆく。
まだしばらくは、アチチチの熱暑は続くんだぞ、と予報は言うけれど、季節にとって、そんなことは構
ったことではない。なんだろうとかんだろうと、その時期が来ればそれなりに移ろっていかねば、後が
つかえてどうしようもなくなってしまう。季節だって色々大変なのだ。
考えてみれば、季節の変化というか、日の巡りというか、地球の運動は一切の事情を抜きにして一
定不変でなければ大いに困る。温暖化だろうが、アチチチだろうが、それにうろたえて巡りを早くした
り遅くしたりすれば、ほかの惑星、月だの火星だの金星だのが、これまた大いに困ってしまうだろう。
だから、というわけでもないだろうが、われらの周りでそうおいそれとは変わらないもの、それが
星々の運行であり、その結果としての季節の巡りかたであろうと思う。ちゃらちゃらと、なんでもかん
でも動き回り、変化して止まない中、動かないもの、変化しないもの、それが必用だろう。
そうでないと、われらのこころの預け先がない。動き廻り、変化して止まらないにものに、こころなど
預けた日にゃあ、気持ちが忙しくって、その応接に煩わされ、たまったもんじゃない。ここはひとつ、ど
っしりと動かず、やたらに変化しないものに、こころをしっかり結び付けなばならない。
さあて、そのように愚考してみたが、実際にはどうすればいいのだろう。具体的にはこころを何に結
び付ければいいのか、それが問題だ。それを見つけるのはどうも簡単ではないように思われる。ま、
とりあえずは、画面がちゃかちゃか動いて煩わしいから、しばらくパソコンを切ってみるか。
スマートホンは元からあまり手にしない。