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2025/08/29

溝蕎麦に季節の移り教えられ

 



 脇の側溝にミゾソバが咲いていた。

 いつの間にか、という感じがするが、少しづつ、ほんの少しづつ自然は次の季節に移っていくらし

い。稲穂が黄金色に変わり、夏の花と秋の花が交代してゆき、日は目立たないほどだが短くなってき

た。季節は律義に、まじめに、何があろうと移り変わってゆく。


 まだしばらくは、アチチチの熱暑は続くんだぞ、と予報は言うけれど、季節にとって、そんなことは構

ったことではない。なんだろうとかんだろうと、その時期が来ればそれなりに移ろっていかねば、後が

つかえてどうしようもなくなってしまう。季節だって色々大変なのだ。



 考えてみれば、季節の変化というか、日の巡りというか、地球の運動は一切の事情を抜きにして一

定不変でなければ大いに困る。温暖化だろうが、アチチチだろうが、それにうろたえて巡りを早くした

り遅くしたりすれば、ほかの惑星、月だの火星だの金星だのが、これまた大いに困ってしまうだろう。


 だから、というわけでもないだろうが、われらの周りでそうおいそれとは変わらないもの、それが

星々の運行であり、その結果としての季節の巡りかたであろうと思う。ちゃらちゃらと、なんでもかん

でも動き回り、変化して止まない中、動かないもの、変化しないもの、それが必用だろう。



 そうでないと、われらのこころの預け先がない。動き廻り、変化して止まらないにものに、こころなど

預けた日にゃあ、気持ちが忙しくって、その応接に煩わされ、たまったもんじゃない。ここはひとつ、ど

っしりと動かず、やたらに変化しないものに、こころをしっかり結び付けなばならない。


 さあて、そのように愚考してみたが、実際にはどうすればいいのだろう。具体的にはこころを何に結

び付ければいいのか、それが問題だ。それを見つけるのはどうも簡単ではないように思われる。ま、

とりあえずは、画面がちゃかちゃか動いて煩わしいから、しばらくパソコンを切ってみるか。

 スマートホンは元からあまり手にしない。




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