ヒグラシの鳴き声が耳に着くようになった。むしろ梅雨の季節から鳴いていたらしいけれ
ど、聞けども聞こえず、耳にとまることはなかった。周りが幾分か涼しくなって、草々も何と
なく秋の装いとなって、そうして、そういえばという感じで蜩の鳴き声が耳に入ってきた。
か細いかなかなという鳴き声が、秋を迎えるにふさわしい。
ヒグラシの鳴き声が耳に着くようになった。むしろ梅雨の季節から鳴いていたらしいけれ
ど、聞けども聞こえず、耳にとまることはなかった。周りが幾分か涼しくなって、草々も何と
なく秋の装いとなって、そうして、そういえばという感じで蜩の鳴き声が耳に入ってきた。
か細いかなかなという鳴き声が、秋を迎えるにふさわしい。
蜩の声を聞けば早く宿にたどり着きたい。
暑い夏の陽も陰り、どこかの梢で蜩が鳴いている。寂しいような、哀れなような、そんな
鳴き声で一日の終わりを告げている。音量は小さいけれど、耳によく響く鳴き声である。こ
の声を聴くと、一日の終わり、旅の終わり、そして生の終わりまで連想してしまう。
ヒグラシという名とその鳴き音は知っているが、姿を見たことがない。どこでも目にしそ
うなものだが、やはりセミだからそうそう簡単には見付けられない。是が非でも、なにがな
んでも見たい、というならば、鳴いている木の一本一本を隈なく探す努力が必要だ。
蜩の鳴き音は、どういうわけか、しみじみとした感情を呼び起させる。これを聞いて、騒
音だ! うるさいくてかなわん‼ という人はあまりいない。秋の虫の音またしかり、しみじ
み聞くひとは多いが、騒音だから取り締まれ、という人もいない(と思う)。
というか、我らの感情はどうしてこういう特定の虫の音に感応するのだろう。もっとも、
ライオンや熊の吠え声にしみじみしていたら、あっという間にこっちが食われてしまう。その
点虫だったら食われる心配はまずない、安心してしみじみできる。
虫の音に、寂しさやモノの憐れを感じる「人の感情」というのは、いったいどういう仕組
みになっているのだろう。それはよく分からないが、おおむね音、聴覚に対して、感情が敏感
に反応するように思える。我らの感情は、目、視覚よりも音、聴覚により感応するようだ。
粉雪吹きすさぶ津軽海峡の冬景色を見て、凍える寒さに立ち尽くしてしまうのだけれど、
これも腹の底を抉り出すような海鳴りの音があってこそ、いっそうすさまじく見える。海鳴
り鳴かりせば、ああ! 寒そうだな、で終わってしまうかも知れない。
音、というのは不思議な働きをする。