(AIさん作成)
寒中の闇夜を焦がす、若草山の炎を一度見てみたい。
大きなお山が一つ燃え上がるのだから、さぞかし見ごたえ十分、ひょっとすると神の存在
まで感じ取ることができるかもしれない。燃え上がる炎を眺める、ということはもしかする
と、そういう超人的な存在を感じ取ることなのかもしれない、とふと思う。
そういえば、キャンプの人は焚火の炎を眺めていると、なぜかこころが落ち着くと言う
し 、盛大な焚火を見ればなんでか近寄っていきたくなる。またいろんな汚れを火で浄め
る、なんてこともあるし、どんど焼きはともあれデッカイ焚火だともいえる。
このところ空気が乾燥して山火事が頻発、鎮火に苦慮している。山焼きなどを嬉しがっ
たら、不謹慎デアル、と後ろ指さされそうだけれど、人間が火に対して一種憧れのような
感情を持つのはどうしてだろう。原始時代から火は大切なものだったからだろうか。
火に対する名状しがたい感情と同じような気持ちを、水に対しても持つようである。水を
見かければまずは近寄ってじっくり眺める。そしてちょっとすぐにはその場を離れ難い。こ
れは焚き火を見たときと、全く同じこころの動きだと思う。なぜそうなるのか、不思議だ。
「火事と喧嘩は江戸の花」などと言ったらしいが、同じ炎でも火事はどうも見物する気に
ならない。その現場には「不幸」が山ほどあるような気がするし、また人の不幸を、のうの
うと見物するというのは、それこそ不謹慎であり、許しがたいことである。
近ごろキャンプ流行りでかどうか知らないが、地面で盛大な焚火をするのは禁止らし
い。椎名誠の「いやはや隊」がやっていたような、ドデカイ焚火はもう夢物語になったよう
だ。なにしろブームというのは、いろいろ禁止さるのではた迷惑だと思う。
奈良の山焼きぐらい盛大な焚火はどこにもない!