(AIさん作成)
霧氷というものを見たのはどこでだったか。
確かに見た経験があるのだが、それがどこの山の中かトンと忘れてしまった。樹氷という
ものは、これはもう蔵王、ニセコでスキーの際お目にかかり、ふむふむ、これが名高き樹氷
というものかと、イタク感心したことを、遠い記憶から引き出すことができる。
ところが肝心の霧氷は、その初見の記憶もろとも霞のかなたに消えてしまっている。がし
かし、とんでもなく美しいものだったことはぼんやりと覚えている。木の枝という枝が白い
氷できらきらと輝き、そこら中がそういう木々ばかりで、肝をつぶすようだった。
住んでいるこの地方では、樹氷はもちろんのこと霧氷もできないようである。最低気温
が氷点下になることは、今の季節しばしばあるが、どうも氷点下になったからといって、即
ち霧氷ができるとはいかないようだ。湿度とかの一定の条件があるらしい。
また樹氷、霧氷という言葉も、なにやら混とんとしているようだし、この記事では大雑把
のイイカラカンに、木の枝先が透明な氷で包まれた状態のものを霧氷と呼び、樹木全体が
氷で包まれてモンスターのようになったのを樹氷と呼んでおこうと思う。
自分にとっては霧氷は美しいものであったが、人によっては「なんだ、ただ木が凍っただ
けじゃやねえか、ふん! 」ということもあるだろうし、「美しきもの」は人それぞれ、千差万
別である。また、自然現象だけでなく、人事現象にだってこの言葉は使われるだろう。
なんだかこう書くと、「霧氷」も「美しきもの」も、なにやら薄らぼんやりしていて、捕らえよ
うがない。これは筆者の頭の中をよく表しているのだろうが、しかしまあ、この世のものは
すべて、薄らぼんやりした存在かも知れず、ひとまずこれでいいことにしておこう。