柿の葉は散ってなお華麗である。
目の覚めるような色合いを保ち、様々な不思議な形を織りなし、現代アートさながらに
見えてくる。この画像はたまたま濃い青地の中に赤い点々が、窯変天目のような模様を描
き出していて、ついつい立ち止まってじっくりと眺めることとなってしまう。
柿の葉っぱは、萌えだした新緑のころは、表面が油を塗ったようにつやつやと陽を反射
してとても美しいし、秋ともなればこのように変身して、絵画のような趣を呈している。ひょ
っとすると柿の葉は、落葉樹の中でもモノすんごい実力者なのではあるまいか。
秋に柿木を見れば、どうしても実の方に視線が奪われる。あの実は甘いのか渋いのか、
旨いのかまずいのか、そっちの方が大事であって、柿の葉っぱをしげしげと眺める人はそ
う多くない。しかし実力はある、だから柿の葉っぱは落葉紅葉樹の影なる実力者なのだ。
意外なことに、すし飯を包んでその実力をいかんなく発揮するものもいる。柿の葉寿司
というのは、小さく包んだ見た目も旨そうだし、なんと言っても可愛らしい。これぞ実力で
あって、悔しかったら楓やモミジ派の葉っぱで、すし飯を包んでみたらどうか。
葉っぱが全部散ってしまって、棒切れのような枝に柿の赤い実だけが残っている、とい
う眺めは、のどか、牧歌的、閑寂を全部ひっくるめて一語にしたようなもので、人の郷愁を
イタク惹きつけて止まない。ここに夕焼けとカラスを配置すれば一層懐かしい。
この点でも並々ならぬ実力者であるのだが、惜しむらくは人がその実力を正当に評価し
ない傾向がある。「なぁんだ、柿かあ! 」で澄ましてしまっている。これでは柿がかわいそ
うである。その実も花も木も地味々々ではあるが、実力はやはり正当に評価したい。
やたら柿の依怙贔屓だが、好きなんだこの実が・・・