宍道湖のシジミ汁を食い逃してとても残念。
出雲蕎麦はなんとしても、と思っていたのでありついたが、蜆の味噌汁の方はうっかり
失念してしまった。帰宅して気が付いて、大いに悔んだけれど、これはもうどうすることも
できない失態であり、もうこれから先に宍道湖を訪れることはないだろうと思うと悔しい。
その時その時にしておかないと、「後で・・・」が利かないことは多いような気がする。子ど
もの時代が終われば子供らしいいたずらは出来ない、青年期にすべきことを中年期にや
ったら顰蹙をかうかも知れない。しかしながらこれは、その最中には案外気づかない。
宍道湖の味噌汁は悔やまれるが、翌朝松江から出雲へ向かう際、島根半島の山すその
道を走った。そのとき、波静かな湖面にゆったり浮かんでいる蜆取りの小舟を見ていたの
に、ぼんやり見過ごし蜆汁に思いが及ばず、まるで阿呆みたいだがほんとのことだ。
道中、島根半島の山すその素朴な田舎の光景にすっかり見とれてしまい、一畑電鉄の
寂しい線路が、湖の草の中に見え隠れするのを見つめたりした。湖が見えなくなっても山
すその静かな道は続き、その景色を見ながら、ひとまずは出雲大社に至った。
大社からの帰りがけ、今度は宍道湖の南側を抜けるべく、出雲平野を横断した。縹緲と
畑が続いて、まっ平らな土地が延々と伸びている。出雲平野というものがこれほど広いと
は、驚きだった。斐伊川が造ったごく狭い砂州だろうと、見くびっていたのだ。
今思い返せば、島根はなんだか懐かしい。湖も半島も平野も、太古の昔からその地勢
をあまり変えないで現代に繋がっているように感じる。おそらく無暗やたらな工場や高層
マンションなどがないせいだろうと思う。島根はいいところだ。