秋の夕暮れの無人駅。
ひとしお風が身に沁み入って、惻々として背中のあたりがなにやら寒い。これが嫌だか
らなるべく日のあるうちに駅に着きたいと思うが、場合によって陽が陰って、急速に薄闇
が木や森の間から沁みだしてくるころ、朽ちかけたホームにひとり佇むときがある。
いくら待っても電車はくる気配さえない。遠くにぽつんと見える人家には、明かりさえ見
えない。周りに音はなく、ただときおり枝が風にさわさわと揺れるばかり。この世に誰もい
なくなって、独りぽつねんと取り残されたような寂しさが身を包み、こころを支配してくる。
八高線などは軒並み無人駅となった。そして駅前にあった小さな食堂や雑貨店なども軒
並み無住となって堅く雨戸を閉ざすばかり、まるでゴーストタウンのように、ただ風がひゅ
~ひゅ~と吹き抜けている。いずれ遠からぬうちに土に紛れて消えてゆくのだろう。
無人駅ならまだしも、線路ごと打っちゃられて消えてしまった鉄道が、ことに北海道には
多いようだ。道東のオホーツク海岸を延々と走っていた鉄路がごっそりと消えてしまい、
枯れ草がびょう~っと風に吹かれているだけになったらしい。
人は鉄道に背を向けて顧みず、駅前は人が集まる場所ではなくなった。寂しい限りだと
思うけれど(乗り鉄ではないが・・・)、これもまた世の中の、どうとどめようもない変化であ
ってみれば、抵抗してみても糠に釘、止むを得なければ仕方がない。
それはそれとして、無人駅の風に吹かれて感ずる寂寥は、”たそがれ族”特有のものだろ
うか? 世の中は絶えず変化して止まぬ、それについて行けぬ”たそがれ族”は、見通せぬ
未来に希望なく、過ぎて帰らぬ過去に、ながあ~いため息をつくのだろうか。