落葉の道はどこまでもカサコソ音がついてくる。
どこまで行ってもカサコソだ。乾いた音なので、自分で自分の足音を聞いていて嫌な感
じはしないが、自然とこころの内側をのぞき込むことになる。これはまあ、楽しいかと言わ
れれば、あんまり楽しくはない。ろくでもない来し方であったが、今更仕方がない。
今更仕方がないから、ろくでもない方はうっちゃらかして、なるべく楽しいようなことを思
い出そうとする。こっちの方も、まんざら無くはないので、なけなしの思い出を引っ張りだ
してみることにしている。そうするとだんだんこころは楽しくなってくる。
そんな数少ない楽しい思い出は、やはりそこいらじゅうを歩き回ったそれぞれの記憶だ
ろうか。外国を一滴も知らないから極めて貧相な、貧乏くさい記憶しかないけれど、それ
でも今思うと貧相でも自分にとっては、貴重な記憶だったなあと思う。
栃木県を歩いているうちに、下野古代国府跡という場所に偶然行き当たり、へえ! と
言って興味の赴くまま歩き回っていたら、すっかり時間を過ごしてしまい、さて日が暮れて
最寄り駅まで12㎞、真っ暗な街道道をとぼとぼ泣きながら歩いた思い出。
阿武隈川の土手を歩いていて、知らぬ間に熱中症もどきの状態なってしまい、民家の庭
先の自販機を見つけて水を補給し、木陰で数時間、死んだようにぐったりとなってようや
く回復した、なんともばかばかしい思い出。(よく死ななかったよなあ)
仙台駅の一つ手前までたどり着きながら、足がストライキを起こしていう事を聞かず、な
だめても透かしても、じっくり休んでもどうしても動こうとせず、泣きの涙で諦め、仙台駅
を眼の前にしながら無念の撤退、今でも悔しく思い出される。
貧乏性だから、もうこれからも一歩たりとも外国に足を踏み出すことはないだろうが、そ
こいらの近場をふらふらしたい気持ちは強い。そうして気分だけは放浪している気になっ
ていたい。客観的はタダのしょうもない散歩でも、主観的には放浪だと言いくるめたい。
そうして一人勝手に自己満足し、人がなんと言おうと、かってに自己満足した方がカチ
だとうそぶいていようと思う。だあ~れも褒めてくれないのだから、せめて自分だけでも
自分を肯定しようと思う。そうしないと自分が立っていられない気がする。