なんだか「おしん」みたいなタイトルだなあ。
散歩道で菊の花をよく見かけるが、もはや枯れ始めているのがある。あでやかな赤や黄
色の花びらが、縮こまって茶色に変色し、それでもなお散らずに茎に着いている。桜のよ
うに散ってしまえば、この老いさらばえた花をみなくても済むのになあ、と思う。
そう思うけれど、老いさらばえた花を見ると、自分の姿をうんと上空の棚に上げてしまっ
て、なにやら哀れを感じる。おそらくその姿を無意識のうちに自分と重ねてしまって、どこ
かで仲間のような、親しげであるような、そんな哀れさが沸き上がってくるのだろうか。
菊はその姿かたちも、あんまりでしゃばないから好ましいけれど、その香りも何とも言え
ない。ほのかながらツンと鼻孔を刺激し、ふんわりと鼻に抜けていく。菊の咲いているのを
見ると、たいがいはクンかクンかと香りをかいでみる。そうして満足して歩き出す。
いっそのこと、この花を食っちゃえ、と言うのが黄菊の甘酢漬け。丼を近づけると、鼻か
ら口から目のあたりまで、かぐわしい香りに満たされ、しんなりした花びらを口に入れれ
ば、しゃきしゃきの歯触りが実にこころよい。しかしまあ、最近はあまり見かけなくなった。
平安貴族という人たちにはちょっと変わった趣味があったらしく、この枯れそぼった菊
の花もまた床しいものとして珍重したらしい。ンなもん、なんの役にも立たないのになあ、
と言うような合理性がなかったのかどうか、「移ろう菊」として大事にされたそうだ。
これは、だんだん枯れてゆく過程で、花の色が微妙に変化する(例えば、白菊が紫色に)
過程を慈しんだようで、今から思えば、ヱー~、なんで”⁉ なのだが、ともかくそういう風
習があったと、これは「tenki.jp」の解説で縷々説明している。
なんとまあ、そういうご先祖様がいたんだねえ!