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2025/12/22

あしたから陽は蘇る冬至風呂





 いよいよ冬至である。


 一年暦日、特別だと意識する日はないけれど、冬至だけは別である。明日から陽の長さ

が変わり、世のなかが明るくなる日だという、特別な思いがある。春、秋の彼岸もまた何が

しか思うところのある日となっているが、冬至は特に思い入れが深い。

 
 なんといっても冬至は、一陽来復、復活の日である。明日から少しづつ日脚が伸びて、

それにつれ陽射しもだんだん強くなって、と思えばどうしても嬉しくなる。寒さは後しばら

く続くけれど、なんと言っても太陽が復活せにゃあ、まずは話にならない。




 これはもう世界的なことだから、地球上のさまざま地域でさまざまな祝祭が行われるら

しい。特に北欧では、極夜というトンデモな現象(下手するとこのとき欝になるという)があ

るそうだから、太陽の復活を待ち望む気持ちは、イカばかりであろうかと想像する。


 それで日本では、この日に「カボチャを食う」(なぜカボチャか? よく分からない)、「冬

至粥を食す」(アズキの粥らしい)、「ユズの風呂に入る」(なぜユズなのか? )、などで祝う

ことになっている。なんだか訳が分からんものばかりだが、ま、それはそれとして。




 かような次第で、太陽の復活を待ち望んでいるから、明日から陽の沈むころべランダに

出て夕日を眺めることにしている。あたりまえだけど、一日二日で目に見えるほど陽が伸

びるわけではない。ただそうしていると、お正月明けごろには、「ああ、伸びたよなあ! 」と

実感できるほどになって、ベランダは寒いけれど、こころは暖かくなる。


 その季節を表すものは、古代中国由来と思われる「節季」というものがある。しかし、北

京と東京は随分緯度が違うだろうし、また気候も違うだろうから、どうなんだろうと思う。

それに比べ、冬至、お彼岸は太陽の動きだから、これは絶対、だからいいと思う。


 こんなことを考えてるなんて、随分ヒマ人だよなあ!






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