干し柿がまだぶらさがっていた。
陽だまりのベランダは、冬日を受けて温かそうだが、なによりも柿が干してある情景は
強烈に郷愁を刺激して、思いもかけず懐かしく思う。一瞬にして時間が短絡し、子供の時
に、たぶん目にしたであろう光景を、ありありと脳裏に浮かべてくる。
窓辺にほんの少しばかり干してあるのも、なにやら可愛らしく思えるし、生産者が屋敷の
あらゆる窓辺に鈴なりのように、すだれの如く干してあるのにも郷愁を感じる。これはあな
がち、谷内六郎の絵に感化されたばかりではないだろうと思うが、どうだろうか?
山梨塩山の野っぱらを歩いたとき、古民家の日当たりという日当たりに大きな柿がびっ
しりと干してあるのを眼にした。あの独特な、屋根から庇が突然飛び出したような古民家
だったが、屋根の軒下、窓辺、庭の干し台の上、どこもかしこも干し柿だらけだ。
塩山のは、枯露柿(百匁柿とも)いう巨大な柿で、それをなにやらで燻蒸してから、一個
いっこ縄に結び、軒下などにぶら下げるだというから、大変な手間暇がかかっている。試
みに一つ食ってみたら、肉厚でとろとろと蕩けるように甘く、思わず目をむいてしまった。
12月も中旬になって、干し柿も窓辺を離れ、それぞれ行くべき場所に移動してしまった
と思われるが、たまたまここでは干し柿を作るのが遅れたかどうか、ぶらさがったままだ。
ひょっとして、この柿は子供たちのおやつであって、ゆっくり作っているのかもしれない。
日が極限まで短くなって、日当たりの時間も少なく、ゆっくりじっくり日に当てた方が、お
いしい干し柿ができるのかもしれない。冬至まであと6日、残り少ない短日を、それはそれ
としてゆるゆると味わいながら、冬至を乗り超えたいと思う。