あながち噴水は涼しくもない。
最初は、ワア~凄い、と驚くけれど、少し見ていれば飽きてくる。そうそういつ
までも見ていたいという気持にならない。いったい誰がこれを発明したのだろう。
どうも西洋人に決まっているような気がする。
これに対し、日本は岩走る清水である。ちょろちょろと滴る水の動きは、いつま
で見てても飽きない。音も噴水のように傍若無人の騒々しさではなく、小鳥のさえ
ずりのように優しく穏やかだ。これをもって涼を感じ取る。
水琴窟は日本人の発明なのだそうだ。水を注げば、しばらくしてどこからか、ぴ
ちゃ~ん、という微かな、聞こえるかどうかという滴り音が聞こえてくる。この音
を聞いて、こころに浮かぶ静寂や涼しさを感じ取るのが日本人だ。
噴水と水琴窟、これはもう勝負にならないのではないか? 情緒の欠けた噴水vs
纏綿たる情緒の水琴窟、勝負あった! と思うのは日本人だからか。西洋人は「
微かな、ぴちゃ~ん、なんて何なんだ。絶対に噴水だ!」と言うだろうか。
日本人の情緒はかくの如く細やかで深い。さて、この情緒の源たる諸々の感情は
いったいどこから湧き上がるのだろうか。「感情は腹わたで感じる」という説があ
るらしい。周りの環境から受け取る、感覚の好悪を内臓が感じる、というらしい。
もちろんその好悪の感覚が、大脳に送られて何ほどの処理がなされるらしいが、
「感情は腹わた」は本当だろうか。そういえば、断腸の思い、腹の底から笑う、胸
に迫る悲しみ、などなどみんな内臓と結び付けられた言葉だなあ!
情緒的は反論理的、なのだろうか。