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2025/10/16

晴天の赤城を仰ぎ稲を刈る




 秋の空が清々しく晴れて稲刈。


 いくらコンバインで刈り取ってしまうとは言っても、やはり収穫の喜びはひとしおではな

かろうかと御推察申し上げる。五月に苗を植え、無事に育てよと我が子のように思い、梅

雨時の大雨を心配し、夏の日照りにおろおろし、9月の台風を恐れ、やっと収穫。


 やれやれと、どれだけ安堵するか、お百姓でないのでその機微はうかがい知れずと言え

ど、まあ稲刈りは特別なものであろうと思う。言ってみれば、一年の計は田植えにあり、一

年の収めは稲刈りにあり、というようなものではないかと推察する。



 子供のころ、友達の家の田植えの手伝い(専ら邪魔をし)に行ったことがある程度で、そ

の後の苦労と心配は、むろんのこと心の片隅にもとどめることはなかった。そうして稲刈り

の時期ともなれば、ひたすら野っぱらをすっ飛んで歩き、栗なんぞを拾って遊んでいた。


 だから作物を育てることの、ほんとうの苦労やら心遣いやら心配など、なにも知らずにノ

ホホンといつの間にやら大きくなってしまった。今にして思えば、仕事はなんでも苦労がつ

きものなのだから、稲を育てて米にすることが、なにほどの苦労かと思う。



 作物を育て収穫するのは、なんと言っても自然が相手のこと、そしてその自然は決して

こっちの思う通りにはならないこと、場合によっては手の施しようもなく、ただおろおろ見

守るしかない仕事であってみれば、工場で品物を作るのとはわけが違う。


 その苦労と心情を慮りもせず、ごく当たり前の顔をしてコメを買って食ってきた。ここへ

て、米高騰のあおりを喰らって、遅まきながらそういうことも頭に浮かぶようになった

が、しかし、である。お百姓さんの苦労を思いながら、コメは備蓄米と決めている。


 


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