なんだか随分久しぶりに月を見た気がする。
ここへきてやや凌ぎやすくなって、ふと空を仰いだら薄い夕焼雲の向こうに月が照って
いた。そうか、いたのか月が、どこかへ行ってしまったかと思っていたが、いたんだね、相
変わらずに、まあこれから秋だから、安生よろしく。と挨拶したけれど、毎日毎夜、猛暑に
苦しめられ、月を見る余裕などなかった、ということか。
どういうわけか知らないが、月の晩に歩いていたりすると、月がどこまでもどこまでも付
いてくる。どうも離れようとしない。ついついこっちも、月と同行二人という気になって、旅
の夕べを二人で歩いているような妄想が湧き、なんだか楽しくなる。まあ蚤の心臓の持ち
主だから、夜道に迷って宿を探す、なんてことはめったに無いのだけれど。
それにしても昔の日本人は、月に対して随分思い入れが強かったようである。月の呼び
方がうんとある。三日月や満月ぐらいならわかるけれど、二日月、十三夜月、小望月、十
六夜月、立待月、居待月、寝待月・・・などと来た日にゃあ、なにがなんだかチンプンのカン
プン、ただ「ツキ」と言えば済むものを、なんでこんなに細かく分類するんだ?
なにぶん平安貴族なんて人達は、不労所得者、いっかな働かずに悠悠閑々、優雅な暮
らしを楽しんだ。ゆえに死ぬほどは暇だったはずである。なあ~んもすることがないから、
まあ月でも眺めてのんびり暮らしていたのだろう。それゆえに、こんなにたくさん月の呼び
名があるに違いない。それを便々と受け継ぎ守ってきたのだから、これもエライ!
そんなに細かく月を眺め、恐ろしいほど暇だったら、日本で暦(陰暦)を発明してもよか
ったのではないか。どうでもいいような月の呼び名など考えていないで、観測し、計算し、
そうして暦を発明すればよかったのに。どうもご先祖様は、そっちの方にはいっかな関心
がなかった、という事なんだろうか、それともそんな野暮は扱わない、という事か。
せめて暦を発明していれば、大いに威張ることができたはずだ。そしてみっちりと自慢で
きる。このごろ、日本人がなにか偉業を成し遂げてほしいと、ひたすらに思う。実質的に、
日沈む日本があからさまな時代だから、よけいにそう思うのかもしれない。世界に向かっ
て、どうだ! 日本人はこんなにエライのだゾ、と大威張りしたいと思う。
誰か大威張りさせてほしい。