2025/09/10

空高し赤城のふもと早生実る

 




 八高線の沿線をぽくぽく歩いたことがある。


 児玉を過ぎると関東平野の西端に出て、野が広々と広がって来る。その北西遠方には

上州の山々が聳え、高い空にその稜線がくっきりキッパリと区切りを付けている。麓の田

んぼではもう借り入れが始まっていた。まだ9月だったから、この稲は早生種だったに違

いない。空っ風のふるさとは、早々と稲刈りを済ませるのだろう。


 ビルも街もない広ろ~~い野を歩いて、胸がすく感じがし、猫背の俯き加減もシャンと

したように思う。独り気宇壮大な気分になって、さあ、矢でも鉄砲でも持って来い、という

気になったが、考えてみたら野っぱらを歩くのに、矢も鉄砲も何もいらない。ただ手と足と

脳みそのひとかけらもあれば十分に間に合う。



 田んぼが無限に広がる中をてくてく進んだ。北の方に薄く煙を吐く山が見えたが、あれ

が赤城山だろうか、榛名山だろうか、こういう時、なんの知識も持たない自分がつくづく

情けないと思う。知識はからっきしだが、足があるから、まあ大丈夫だろう。とりあえず行

きたいところに行けるし、五感もまあ大丈夫だから、いろいろ感じ取れる。


 ずんずん進んで神流川の岸辺に出た。川岸に遊歩道が整備されていて、桜並木の木陰

を歩き、草原で休憩した。そうして、藤岡の街並みに入った。古い街並みがずう~っと続

いている。先の先まで一直線に続いている。たちまちバテてしまった。街並みに変化がな

いから、ただ俯いて歩くだけ、これがまた思いも知らず疲れてしまう。



 そうするうちに、街道は上越新幹線に突き当たった。コンクリートの橋脚が田んぼを切り

裂いて、どこまでも一直線に伸びている。壮大な眺めだなあと、今更ながら感心した。街

道に変化が出てきて、烏川を渡ったら群馬県立美術館がある。歩き疲れたからここで大

休憩しようとしたのだが、如何せん、長く休み過ぎた。ふと気がついたらもう5時近い。


 さあ、それからが大変であった。暗くならないうちに高崎駅にたどり着きたい。が、秋の

日は無常、ドカドカ暗くなってゆく。くたびれた、足が痛い、どこまで歩けばたどり着けるの

か、ああ、もう足もとが見えないぞ。夕暮れの家々の明かりも、今はもう悲しく映る。へろ

へろ、よたよた、高崎駅の明かりが見えて、やっとのこと、人心地つけた。


 記憶に残るは、広い野と辛い夜道。




2025/09/09

山峡の野はどこまでも蕎麦の花

 



 白い蕎麦の花が目の限りどこまでも広がっている。


 こんなに蕎麦ばかり栽培してどうすんだ、と思うほどだが、蕎麦の自給率は2割ほどだと

いうから、やっぱり米に比べればほんのちょびっと、ということになる。うんと昔、縄文のこ

ろに中国から渡来して(そのころ中国と交渉があったのかなあ? )、栽培された形跡があ

るという。してみれば、まあ蕎麦は日本の由緒正しい食べ物、と言ってもいい。


 その由緒正しい古来からの日本の食べ物が、ほとんど自給されていない! ということに

驚いてしまうけれど、麺と言えば即座にラーメンの世の中なれば、これもまた仕方がない

のかもしれない。しかしまあ、ここ数年のラーメンのもてはやされ方は、いささかもの凄い

が、戦後、アメリカが「小麦を食え」と言った結果がこんな形になったのだろうか。



 蕎麦の話に戻る。ラーメンの名所が全国中にあると同じく、蕎麦も全国区である。自分

勝手に数えてみれば、山形、新潟、長野、こんなところだろうか。山形の、なんと言うことも

ない観光地の蕎麦が、案に相違して素朴で旨かった。新潟のヘギ蕎麦を始めて食ったと

きは、これはもうびっくりした。なにやら海藻を練り込んであり、つるつるのしこしこ。


 蕎麦と言えば信州、だから長野には蕎麦の名店がごっちゃりあるに違いない。ビンボー

だからそういう名店には疎いけれど、どこだったか、山すその道の駅で食った蕎麦が旨か

った。冷たくて、腰が強く、量があってその上安い、やはりビンボーの味方だって、長野に

は存在した。名店の高級ばかりでは、庶民は遠く離れてみるしかテがない。



 山梨県のはずれの方の山道を歩いていたら、しもた屋みたいなところに人がたむろして

いた。なんだろうと訝しんで見ていると、どうやら高級蕎麦屋であるらしかった。店内に入

れきれない人が表に立って待っているらしい。ひょっと見たら盛り蕎麦1500円と書いて

ある。冗談じゃねえ、散々待たされて、雀の餌ほどの蕎麦など、食ってたまるけえ。


 ともあれ蕎麦が好きなことに変わりはない。それで思うのだけれど、東京都内、名店と言

われる蕎麦屋もあるけれどが、普通の蕎麦屋も案外多いし、押し並べてどこで食っても旨

いように思う。これが蕎麦かあ⁇ という絶望に遭遇したことがまずない。大阪がうどんな

ら江戸は蕎麦、どうもこういう伝統が未だに生きているように思われる。


  蕎麦時や月の信濃の善光寺(一茶)




2025/09/08

コスモスや我が行く道は里のみち

 



 コスモスが揺れる里道を歩くのは気分がいい。


 里の中の道そのものが気分よく歩けるのに、そのうえコスモスが色とりどりに咲いて、ゆったりと風

に揺れ、空は青いし陽は穏やかだし、これ以上の気分の良さはない。たぶん里道がいいというか、

舎に惹かれるのかもしれない。田舎をひとりぽつねんと歩いていると胸が広がっていく心地がする。


 逆にたまに都内に出ると、ビルの谷間を歩いていてだんだん胸に蓋をしてしまうような気分になる。

それと自覚はしないのだけれど、どうしても気持ちが構えてしまう。だれも獲って食おうという人はい

ないのに、全身を鎧で固め、こころにしっかりと錠をかけ、ぼんやりした気分を覆い隠そうとする。



 どうしてこんな按配になってしまうのか、自分でも分からないが、都会では”田舎者丸出し”がいま

だ治らず、そのため身構えてしまうのではないか、反対に、田舎の里道では、幼少のころから身に沁

み込んだ田舎の風景に”思わず郷愁”が湧き出してしまうからなのではないかと思う。


 しかしながら、都会生まれ都会育ちの人も、なにやら田舎に憧れるようで、これがよく分からない。

都会育ちの人に田舎への郷愁はない筈だが、YouTubeを見ると、田舎暮らし、山里古民家再生、自

給自足生活、などなどわらわらと出てくる。たいがいが都会で生活していた人たちだ。


 例えば。都内生まれ都内育ちのまだ若い女性が、あるきっかけで、ふと田舎に行って病みつきとな

り、今では古民家に住み、無起耕で野菜を作り、糠味噌をこね、囲炉裏を焚いて、まるで戦前の田舎

の暮らしそのままの生活をしている。それも、嬉々としてその生活を楽しんでいるようなのだ。



 こうなると、田舎への憧れは、山育ちの単なる郷愁でもないように思えてくる。ここで思い出すの

は、養老孟司の口癖、「参勤交代論」=「都市と田舎の往復居住の勧め」。なぜそれが必用かと言え

ば、システム化、効率化され、感覚ではなく脳「意識」で考えることを優先されがちな現代において、

地方社会や自然の中に身を置くことが必用なのだ、ということらしい。


 都会育ちが、あえて田舎に住みたがるというのは、いよいよ養老孟司さんの愁いが現実になったの

だろうかとも思える。ただし、田舎に住みたがる都会人は、数とすれば少ないだろうから、あながち養

老さんの警告に従うようになった、とは言い切れまい、この風潮はいったいなんなのだろう。


 まあ、田舎歩きが楽しけりゃ、自分はそれで十分。




訪問記録