2025/11/26

山茶花や散って華やぐ寺の門



 

 隙間に植えてある山茶花がようやく咲きだした。


 「ようやく」というのは、確か例年11月の声をきくと、そそくさと咲きだしていたような気が

するから、山茶花とは11月の花だとばかり思っていた。12月の声を聞かないと咲かないと

なれば、温暖化の故か否かそれは知らないけれど、認識を改める必要がありそうだ。


 山茶花の画像を探しまくったが、遂に見当たらないので、AIさんに作ってもらったらこん

な絵になった。まったくの架空の産物だけれど、なんとなくイメージに合っているから、これ

でいいことにした。山茶花は散り敷いて地面を彩る色合いが華やかだと思う。



 黒っぽく見えるほどの濃緑色の葉っぱから、薄いピンクの花が楚々として湧き出すよう

に咲いているのを見ると、きれいな花だナと思う。これがぽつりぽつり咲いていてはダメ

でわらわらと木や葉っぱが見えないほど咲いているのがいいようだ。


 椿と違って、花びら一枚一枚が、はらはらと無風の冬日に散り敷くさまもなかなかいい。

散り敷いた地面がぱっと華やかになって、冬の花の少ない時期に、こころ弾む思いがす

る。どちらか言えば、木で咲いているよりも散った花びらが美しい。



 11月は月始めからインフルエンザと肺炎で、およそ半月も寝て過ごすこととなった、言わ

ばクソッタレな月であった。それでどうも、たちまち体がサボり癖を発揮しているらしい。昨

日用事があって横浜の戸塚に出張ったが、駅までの道、長い乗り換え道、息が切れた。


 この分だとたちまち足弱で歩けなくなる恐怖が、背中のあたりから滲み出して、これはい

かん、是が非でも、なんでもかんでも、散歩を復活しなくてはいかん! と思い知った。寒

くなる時期で、かつ面倒くさいから、出来るだろうかどうだろうか⁇


 ま、のんびりゆったり始めようか。




2025/11/24

落葉踏む音に来し方想い出し

 



 落葉の道はどこまでもカサコソ音がついてくる。


 どこまで行ってもカサコソだ。乾いた音なので、自分で自分の足音を聞いていて嫌な感

じはしないが、自然とこころの内側をのぞき込むことになる。これはまあ、楽しいかと言わ

れれば、あんまり楽しくはない。ろくでもない来し方であったが、今更仕方がない。


 今更仕方がないから、ろくでもない方はうっちゃらかして、なるべく楽しいようなことを思

い出そうとする。こっちの方も、まんざら無くはないので、なけなしの思い出を引っ張りだ

してみることにしている。そうするとだんだんこころは楽しくなってくる。


 そんな数少ない楽しい思い出は、やはりそこいらじゅうを歩き回ったそれぞれの記憶だ

ろうか。外国を一滴も知らないから極めて貧相な、貧乏くさい記憶しかないけれど、それ

でも今思うと貧相でも自分にとっては、貴重な記憶だったなあと思う。



 栃木県を歩いているうちに、下野古代国府跡という場所に偶然行き当たり、へえ! と

言って興味の赴くまま歩き回っていたら、すっかり時間を過ごしてしまい、さて日が暮れて

最寄り駅まで12㎞、真っ暗な街道道をとぼとぼ泣きながら歩いた思い出。


 阿武隈川の土手を歩いていて、知らぬ間に熱中症もどきの状態なってしまい、民家の庭

先の自販機を見つけて水を補給し、木陰で数時間、死んだようにぐったりとなってようや

く回復した、なんともばかばかしい思い出。(よく死ななかったよなあ)


 仙台駅の一つ手前までたどり着きながら、足がストライキを起こしていう事を聞かず、な

だめても透かしても、じっくり休んでもどうしても動こうとせず、泣きの涙で諦め、仙台駅

を眼の前にしながら無念の撤退、今でも悔しく思い出される。



 貧乏性だから、もうこれからも一歩たりとも外国に足を踏み出すことはないだろうが、そ

こいらの近場をふらふらしたい気持ちは強い。そうして気分だけは放浪している気になっ

ていたい。客観的はタダのしょうもない散歩でも、主観的には放浪だと言いくるめたい。 


 そうして一人勝手に自己満足し、人がなんと言おうと、かってに自己満足した方がカチ

だとうそぶいていようと思う。だあ~れも褒めてくれないのだから、せめて自分だけでも

自分を肯定しようと思う。そうしないと自分が立っていられない気がする。




2025/11/22

銀杏散り拾って帰る母と娘(こ)と

 





 散ったばかりのイチョウはまだ瑞々しい。


 きらきらと陽を照り返して、その美しさにだれでもどうしても一二枚拾ってみたくなる。散

ってもイチョウはエライ! まして木に着いて黄金に染まったのが、わずかの風にそよいで

青空をバックに煌めくさまは例えようもない。ことに神宮外苑が見事だ。


 しかし、東京はイチョウがことに多いように思う。東京大学の構内はたまたま立ち寄った

のだったが、その黄金色に囲まれた素晴らしい景観に驚いた記憶が残っている。外にも

見事な銀杏並木など数あることだろうと思うが、身近では甲州街道八王子の並木道、昭

和記念公園のイチョウのトンネルなどを思い浮かべることができる。



 お寺やお宮の境内には、ときとして堂々たるイチョウの古木が聳え立っていることがあ

る。さすがに前に立てば、その威風堂々たる姿に圧倒され恐れ入ることが多い。まだ葉っ

ぱが青い時分には、その大きな腕で涼し気な影を作って休ませてくれる。


 ひとたびこれが色づくやいなや、真っ青の空に砂金をちりばめたように黄色い葉っぱが

煌めき、ときあって、はらはらと散り敷けば、辺り一面黄金絨毯と変わって、そのあんまり

にも無辺際な散敷ように、これまた圧倒され恐れ入ってしまう。



 しかしイチョウはなかなか複雑な木であるらしい。オスとメスが分かれているという。実

をむすぶのもなにやら複雑な工程を経ているらしいし、裸子植物だともいうし、安い頭で

は何がどうしたのかよく分からない。それでもって化石と言われるほどに古くからの生き

残りでもあるらしい。


 しかしそんな面倒くさいことは分からないでも、イチョウは見た目が断然いいい。境内の

一人孤高の姿もいいし、数を頼んで並木の圧倒的な量感もまたいい。春の新緑の柔らか

な葉っぱもいいし、秋の夕日の丘に金色が散るのは当然いい。




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