2026/02/23

人の見ぬ軒にひっそり黄梅花

 

                                (AIによる)

 鮮やかな黄色のこの花はよく見かける。


 のだけれど、ちっとも注意をひかない。思うに花の形が極めて非凡、6枚の花弁がただ

突き出しているだけで、変わったところはどこにもない。ところがこの花は、漢名を「迎春

花」ともいい、なにやら春の花の代表みたいな、エラク高雅な名前になっている。


 と、いうことも全く知らずに、公園などでこの花を眺めてきた。同じころ咲く連翹よりも少

し地味な感じがするので、目の方は連翹に吸い寄せられ、この花をじっくり見たことがな

い。土台が花など優雅に眺めるような人間ではないのだから、まあそんなもんだ。



 この世界には、死ぬほどたくさんの花がある。そうしてその一つ一つに名前がついてい

て、ただ単に”はな”といわれるものは一つもない。どうもヒトというのはなににでも名前を

付けたがる動物のようである。こっちのぶっくれ頭ではとても覚えきれないけれど。


 日本人はしかし、とんでもない名前を花に付けているのがおかしい。例えば、オオイヌノ

フグリ、ヘクソカズラ、ママコノシリヌグイ・・・どうしてこんな、大声では言いえないような名

前にしたのか、そしてまた、その名が延々と引き継がれてきたのか、よく分からない。



 ともあれ、この黄梅は「迎春花」でもある。今度公園などで見かけたときは黄梅ではなく

迎春花であるような顔で見るつもりだ。そうすれば、もしかしてひょっとすると、エラク典雅

で、いかにも春が来たような、そんな風に見えるかもしれない。


 さて、「迎春花」があれば「惜春鳥」というのも聞いたことがある。こういう名の鳥が実際

にいるのかどうか知らないが、どもいそうな気がする。しかしネットには大昔の映画のこと

ばかり出てきて、動物の鳥は出てこないようだ。要は、春は惜しむべし、ということか。


 今日は春をすっ飛ばして初夏のようだ。




2026/02/21

阿蘇全山空を焦がして野焼きかな

 



 表題の句を入力してAIさんにお願いしたら、こんな絵が出てきた。


 なんとも物凄いような絵であって、阿蘇がこんなことになったら大ごとだが、まあせっか

くAIさんが知恵を絞ってくれたのだろうから、誇張はあるだろうけれどこのままにしておこ

うと思う。悪いのはこちら側の句の方であって、決してAIさんが悪いわけではない。


 ネットなどで見ると、ほんとの山焼きはもっともっと抑制され、しっかり管理されて実施さ

れ続けられているらしい。しかしこれも、全国おなじみ老齢化とかで、素人のボランテアさ

んがどうにか実施しているというから、どこでも伝統を守るのは大変だ。



 野焼きや山焼きをするのは、もっぱら草原の生態系を維持するためであって、何も伝統

だからとか、面白いからとかで行われているのではないのは言うまでもない。草原は放っ

て置くと森林になってしまい、阿蘇の草原は明治時の半分になってしまったそうだ。


 草原の生態系は貴重なもので、保水力も森林より優れ、生物の多様性が維持され、炭

素を多く地中に取り入れて温暖化に貢献する、と言われている。このことに共鳴して、110

0名のボランテアさんが、講習を受けて野焼きに参加しているそうだ。エライなあ!



 しかし一方ではまた、怒涛のような時代の流れみたいなものがあって、何もかもを巻き

込んで止めようもない気もする。過疎の地は山谷に戻り、草原は森林となってものみな自

然に帰ってゆく。人影ない自然はひたすら不気味だが、仕方ないことかも知れない。


 しかし遠い将来にそうなったとしても、それでもヒトは生き続け文化を残してゆくのだろ

うと思う。ヒトという生き物が絶滅しない限り、この地球上には希望があるような気がする

けれど、もし絶滅するとすれば、ヒトがヒトを絶滅させるのだろうか⁉




2026/02/20

仏の座咲くも野道の冴え返る

 



 まだまだ寒いというのに仏の座が咲いている。


 散歩のとき脇を通った畑にわぁ~と咲きだしていて、まるで蓮華畑のようだ。この花は

華奢で繊細な形をしているが、うんと寒い時期に好んで咲き始める。だから先駆けともい

うべき花だが、温かくなるころには最盛期を過ぎて、そしてどこかに消えてしまう。


 似たような早春に咲く「犬ふぐり」がある。この二つの花を見れば、まだ寒の内だという

のに、春が近づいたなあ、と思う。今の時期はちょうど春が行きつ戻りつ、足踏み躊躇して

いる時期だろうけれど、そんなことにお構いなく、この二つの花はぐんぐん咲いている。



 日本のように四季の違いがわりあい明瞭な地域は、その都度楽しみが生まれる。なんの

花が咲いたの散ったの、葉っぱの緑が濃くなったの薄くなったの、その都度騒いだり、見

に出かけたりしていられる。これはもしかすると、素晴らしいことなのかもしれない。


 世界はもちろん、こんな地域ばかりではない筈だ。年がら年中、ほぼ夏ばっかり、あるい

は冬ばっかり、という地域だってあるだろうと思う。そういう地域では、春夏秋冬、ほぼ平

らで変化なく、冬の憂愁もなく、春の狂騒もなく季節の違いを騒ぎ立てようがない。



 世界はそれほど違っているのだろうが、まるで想像もできない。加えて海を渡った経験

もなく、その地域ちいきに住む人々が、どんな気持ちで毎日を送っているのだろうかも、

一滴たりとも窺い知れない。この世に生まれたけれど、それも知らずにかわいそうだ。


 それはともかく、比較的明瞭な四季(梅雨を入れて5季? )があって、それぞれの季節

が移り変わるごとに、花や草や木が替わりゆくのは、ひょっとして幸せなことなのかもしれ

ない。そこにちっとも気づかず、寒い暑いの文句のみ言ってると、罰が当たるかもナア・・・




訪問記録