2026/03/22

駘蕩と城下の寺の桜かな

 



 「江戸文化を楽しむ会」というのがあって、川越を散策することになった。


 当日は呆れるほどきれいに晴れ上がり、温かくやさしい風がそよらと頬を撫で、申し分

のないお彼岸の空である。そのうえ休日であり、観光客がわらわらと押しかけて、小さく

て狭い街のどこでも人が溢れた。蔵の通りなどは人々が詰まってしまい、動けやしない。


 川越は「小江戸」などと呼ばれ、江戸文化の俤が比較的残されていると言われる。例え

ば蔵造りの商店がずらりと並んで残っていたり、幕末に築造された川越城本丸御殿の一

部が残されているし、「時の鐘」となすけられた火の見が再建されたりしている。



 先ず喜多院へいく。家康、家光に庇護された特権的な寺、広~い境内のど真ん中に本

堂が横たわる。なにしろ横幅が広い。この本堂を中心にして、右奥に江戸城の屋敷を移築

したという建物があり、そして脇には五百羅漢が、それぞれもの思いに沈んでいる。


 春の優しい日差しを受けて、参拝者が思い々々に歩き回る。境内の染井吉野はようやく

咲き始めた名ばかりだが、エドヒガンらしい枝垂れが優雅に枝を垂れ、庭園の松の向こう

に河津桜らしい鮮やかな花が見えている。ここだけでももう春が溢れている。



 北へ歩いて市立博物館。城下のジオラマを前にして、ボランテアさんのガイダンス。江戸

時代の街の様子が一気に頭に入った。川越城を取り巻く武家屋敷地と町割りの様子、広

大な喜多院、一直線に並んで軒を接する商家の佇まい。一目瞭然、よ~く分かった。


 明治の大火で焼失した商家は再建され、有名な黒漆喰の耐火建築となった店蔵は、築

造に3年、今の貨幣価値で3億円だそうである。下地から初めて何度も々々も塗り重ね、

恐ろしいほどの手間とお金をつぎ込んである由、現在20棟が残っているという。



 ガイダンスを受けた後本丸御殿を見学、やはり事前に説明されればよく分かる。そこか

ら今度は氷川神社へ行く。境内は若いカップルで超満員、聞けば縁結びの神様なのだそ

うだ。う~む、若い人が縁結びの縁起を担ぐのかあ!  その長い列は続いている。


 川越の街の北辺をぐるっと新河岸川が流れ、氷川神社の裏側に巡っている。川筋の染

井吉野がだいぶ開いている。この花びらが散るとほ、とんど流れのない新河岸川の水面

を埋めて花筏となる。それもまた咲いている花と同様に美しい。



 陽が傾くころ、蔵造りの街並みを歩く、と言っても一向に進まない。向こうからわんさと

人が来るし、こちらからもうようよと向こうへ行く。車に押し込められ、人に突き当たり、そ

れでも蔵造りのお店で、さつま芋のなんちゃらという食べ物を手に入れる。


 あまりにもあんまりだから、「りそなコエドテラス」というちょっとした広場で休憩。なんと

まあ、人力車が4台も待機してそれぞれに若い女性が乗っていた。浴衣を着た若い女性

もいる。今の観光は単に見て回る、じゃなくその場に自ら参加することが必用らしい。


 川越は春爛漫だったように思う。




2026/03/20

人寄らず寂しきままに春炬燵


                              (AIによる)


 お世話になった炬燵だがもう人は寄り付かない。


 冬の間あれほど馴染んだが、今見るとなんだか鬱陶しく感じる。あの暑いんだかそうで

ないんだか、ぬくぬくした曖昧さが、もういいや、と感じさせる。もはや外の陽射しの方が

あったかくて気持ちがいいのだから、悪いけれど役割ご苦労さんなのだ。


 しかしながら、炬燵というのはなかなか侮れない器具ではないかと思う。暖房器具であ

ることは間違いないけれど、そこにそっと付随するものがある。団らん、というか和み、と

いうか、ミカンでも持ってくれば、自ずと人が集まってまったりする仕掛けになっている。



 炬燵は脚、腰だけを温める。風通しのいい日本家屋で、体を部分的に温めてそれでどう

する⁈ と思うのだが、どうも脚を温まれば全身があったまるらしい。外は吹雪でも、一家

中の者が炬燵に足先だけ突っ込んで、布団を引っ被って寝てしまう、それで十分なのだ。


 炬燵は室町時代から使われたと、物知りAIさんが言っている。最初は囲炉裏の余熱に

台と布団を掛けたもの、であったらしい。囲炉裏を一晩中燃やしていたら酸欠になってし

まうから、部屋そのものをあっためるという発想はなかなか出てこない。



 その囲炉裏炬燵がだんだんと発展して、江戸時代には「やぐら炬燵」「置き炬燵」となり、

囲炉裏から解放され、普通の部屋にも置けるようになった。明治の世になって「掘り炬燵」

となり(バーナード・リーチ考案だそうだ)と進化して、現在は電気炬燵一辺倒。


 とまあ、炬燵は場所も取らず、大きな装置も要らず、それでもってなかなか効率のいい

暖房器具だということだが、これは紛れない日本の発明らしい。AIさんによれば、東アジ

アの暖房は、中国:床暖&ペチカ、朝鮮:オンドル、日本:囲炉裏・火鉢・炬燵だという。


 炬燵よ、また来年会いましょう。 




2026/03/19

山寺の日は暮れ残し春彼岸

 



 お彼岸、夜と昼の長さが同じになった。


 ということは、冬至からもう90日以上も過ぎ去ってしまった。「何もしなうちに! 」いう感

慨がわく。過ぎ去った日々を後から振り返るとまことに早い、目まぐるしいほどだが、人間

の脳みそを考えに入れなければ、年月はどこでも同じ速さで流れている筈だ。


 お彼岸だというのに、墓参りもせずに「日が長くなった」などと言って喜んでいては、ナニ

かに対して申し訳ないような気もするが、なにしろ先祖のお墓は遠い場所、おいそれとお

っとり刀で駆けつけるというふうには参らない。まあ近くても同じことかも知れないが・・・



 夏至、彼岸、冬至の意味合いは、もっぱら「太陽が今どのあたりにいるのか」を思い描く

よすがとして機能している。彼岸であれば、冬と夏の中間にいるのだナ、と想像する。そし

て季節の本領はお天道様の動きから2,3か月遅れるので、そんな風にまた思い描く。


 そんな想像を駆使して、暑い寒いに対しなんとなく身構える、という事になる。なにしろ

近頃、暑い寒いは体にようけこたえる、仇やおろそかに打っちゃって置けない。若い時に

平気だったものが、断じて平気でなくなってしまう、というのは哀しいことだ。



 それにしても「暑さ寒さも彼岸まで」という言い方はなんといううまい言葉か、その通り

ぴったしカンカン、実感に合い過ぎている。もうこれ以降、寒いなんて日はないよ、温かく

なる一方で、もう汗をかく心配をしなくちゃならないよ、と言っているのである。


 秋の彼岸であれば、いくらなんでも焦げ付くような日はもうないよ、少しは落ち着いてき

て、ひょっとすると涼やかな風も吹いたりするよ、と言っている。かくのごとくこの言葉は嘘

をつかない、そして彼岸というのも嘘のない一つに区切りである。



 悟りを開くとか、そっちの方はどうすんだ⁉

 




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