2025/12/17

短日や窓辺に揺れるあんぽ柿

 




 干し柿がまだぶらさがっていた。


 陽だまりのベランダは、冬日を受けて温かそうだが、なによりも柿が干してある情景は

強烈に郷愁を刺激して、思いもかけず懐かしく思う。一瞬にして時間が短絡し、子供の時

に、たぶん目にしたであろう光景を、ありありと脳裏に浮かべてくる。


 窓辺にほんの少しばかり干してあるのも、なにやら可愛らしく思えるし、生産者が屋敷の

あらゆる窓辺に鈴なりのように、すだれの如く干してあるのにも郷愁を感じる。これはあな

がち、谷内六郎の絵に感化されたばかりではないだろうと思うが、どうだろうか?



 山梨塩山の野っぱらを歩いたとき、古民家の日当たりという日当たりに大きな柿がびっ

しりと干してあるのを眼にした。あの独特な、屋根から庇が突然飛び出したような古民家

だったが、屋根の軒下、窓辺、庭の干し台の上、どこもかしこも干し柿だらけだ。


 塩山のは、枯露柿(百匁柿とも)いう巨大な柿で、それをなにやらで燻蒸してから、一個

っこ縄に結び、軒下などにぶら下げるだというから、大変な手間暇がかかっている。試

みに一つ食ってみたら、肉厚でとろとろと蕩けるように甘く、思わず目をむいてしまった。



 12月も中旬になって、干し柿も窓辺を離れ、それぞれ行くべき場所に移動してしまった

と思われるが、たまたまここでは干し柿を作るのが遅れたかどうか、ぶらさがったままだ。

ひょっとして、この柿は子供たちのおやつであって、ゆっくり作っているのかもしれない。


 日が極限まで短くなって、日当たりの時間も少なく、ゆっくりじっくり日に当てた方が、お

いしい干し柿ができるのかもしれない。冬至まであと6日、残り少ない短日を、それはそれ

としてゆるゆると味わいながら、冬至を乗り超えたいと思う。





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