(AIさん作成)
寒月といえば「吾輩猫」の理学者しか頭に浮かばない。
ほんとは寒の空に煌々と凍てつく月のことだろうが、こういう景観に余り馴染んでこなか
ったので、連想は「吾輩猫」になってしまう。困ったことである。なぜこういう景観になじみ
が無いかといえば、それは簡単、寒いから。なんと言っても寒いところからは逃げたい。
でもまあ、やむを得ずにこういう光景に出くわしたことはあるような気がする。何かの都
合で帰りが遅くなって、首を縮めながら歩いてふと見上げたら、凍りつくような月が煌々と
照っていた、ということはあったような気がするが、いつのことだったかもうわからない。
月といえば、随分といろいろな呼び名がある。居待月、立待月などと言うなんだかわか
らない呼称もあり、十六夜などと言うのもあって、とてもじゃないいが覚えられるものじゃ
ない。せいぜいが、三日月、上弦下弦の月ぐらいなところで、まあ間に合わせている。
月一つにあんなに様々な呼び名があるのは、ちょっとやり過ぎではないのか。平安貴族
様はよっぽど暇を持て余し、やることがないから月について、ああだこうだ、と散々いじり
倒したのだろうと思う。それが今に何か影響があるかといえば、まあ何もない、と思う。
ところで、またぞろ人類は月に行ってみるらしい。今度はどうも、月の上をジャンプしてそ
れで満足、という按排ではないらしい。月面での持続的な探査と、その視線の遥か先には
火星があり、その足掛かりを築くという面があるようだ。どんなことになるのやら。
前回(約50年前になるそうだ)月の地面を飛び跳ねた際、日本の小説家が「月は行って
みるところじゃなく、眺めるものである」といったとか言わなかったとか。月へ行くのは、い
かにもアメリカだし、眺めるだけなのは、いかにも日本的だナア、とそのとき思った。
いろいろあるが月はなにも変わっていない。
寒月といえば、寒月さん!私もです。吾輩は猫であるは、愛読書だったんです。だったというのは、文庫の字が小さいので、このごろ読んでないからです。
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