2025/07/19

ここでないどこか遥かに夏の空

 



 台風の崩れが去って、ドンガラガッタの夏空が蘇った。


 朝の散歩を再開した。めったやたらに暑いけれど、空を見上げても「はるか遠

く」の空ではない。ただ単に暑いばかりで、遥かな山の涼しい緑もないし、涼風も

吹いてこない。都会の夏はほんとにもう、どうしようもない。


 遥か遠くの夏空に憧れる。緑の山の上に、青い空が遠く広がっている、胸のすく

ような夏空が、どこかにきっとあるはずだ。それはやっぱりイナカでなければなら

ないような気がする。山のイナカでも海のイナカでもどっちでもいい。




 都会の夏が煮ても焼いても、冷やしてもとても食えたもんじゃないので、人は都

会を脱出する。逃げ出して、山の遥かな空や、海の遠い空を眺めに行く、のではな

かろうか。そしてひとときそれを眺めてなんだか安心し、しぶしぶ還って来る。


 そんなことなら、いっそのことイナカに住めばいい、というけれど、イナカには

飯の種がないし、都会ほど便利でもない。だから田舎に憧れても、どうしても都会

に帰って来る。飯の種と、便利さと引き換えにして都会でくすぶる。




 しかし、どうもよく考えてみると、「夏の空」を田舎に求めるばかりじゃなく、

いつでも「ここじゃない何処かにそれはある」と思いつめている自分がいる。いい

ものはあっちのどこかにある、という思いから抜け出せない自分がいる。


 そうしてハタと気付く。人類は大昔の昔から理想郷を、ここじゃやに何処か、に

求めて止まなかったのではないか。しかしその空しさをイヤというほど味わってき

たのじゃなかったのか。それをすっかり忘れて、またぞろ「ここじゃない何処か」

に目を向ける。いやはや、何時まで経っても 学ばない。


 それにしても、イナカを歩きたい。




2025/07/18

山の辺の道にひっそり合歓の花

 




 山道にひっそりと咲く合歓の花は、不思議な花だ。


 花とは到底思えない、細い刷毛のように見える。その上、その花の色合いが頼り

なさげで、あえかで、そのくせとても優美なのだ。この花を見かけるのは、そうそ

う多いことではないと自分では感じている。まるで深窓の令嬢のように。


 合歓の花を見てこのような感懐を抱くのは、ひょっとして芭蕉の句の影響が大き

いのかもしれない。「象潟や雨に西施が合歓の花」。そぼ降る雨、あえかな美人西

施、そのイメージをどっと合歓の花に乗っけてしまう。実に巧みなもんだ!



 合歓の木が変わっているのは、花ばかりではない。葉っぱが夜になると眠るとい

う。動物が眠るのは当たり前だが、植物が夜になると眠ちゃう、というのはあまり

聞いたことがない。やはりこの木はどこか変わっている。


 ヒトも動物もみんな眠るんだから、植物が寝てはならぬ、という法律はないけれ

ど、ほかの植物はそんなことをしないのだから、一応、周りに同調してもよいでは

ないかと思う。眠らねばならない何か特別な理由があるのだろうか。

 


 それで、即ち今、ネットに聞いてみた。この現象を「就眠運動」というそうだ

が、マメ科の植物にこの運動をするのが多いらしい。その仕組みは、生物時計によ

って日周を感知し、細胞内の何たらイオンがどうとかして・・・とまあ難しい。


 偉い学者さんがこのメカニズムを解明したらしいけれど、では、なぜマメ科の植

物はこういうことをするのか、この仕組みはその植物にどういう利点をもたらすの

か。そこのところはまだ解明されていないらしい。ここが肝心だよナ。


 それでも、合歓の花は控えめで美しい。




2025/07/17

みちのくの風吹き抜けて夏座敷



                                (芭蕉記念館)


 尾花沢に立ち寄ったことがある。


 役場へ行って尋ねたら、近くに芭蕉記念館があると、いかにも東北の娘らしい可

愛い女子職員が丁寧に教えてくれた。記念館は町中にあったが誰もいなくて静かに

佇んでいた。この場所に紅花の豪商、鈴木清風の店があったらしい。

 

 芭蕉は清風のところで10泊もしたという。よほど行き届いたもてなしだったに違

いない。「涼しさをわが宿にしてねまるなり(芭蕉)」。一方、清風という人は剛毅

な気性の人だったらしい。そのエピソードが尾花沢市のwebサイトに載っている。



 そのエピソードの概略を記載。「清風は江戸に大量の紅花を持ち込んだが、江戸

商人が意地悪な不買同盟に及んだ。ならばと大量の紅花焼き捨てたように見せか

け、値が上がってから売りさばいて大儲けをした」という。


 大層気骨のある商人であったらしい。一方で芭蕉に対しては、行き届いたもてな

しで応じ、おそらく細かい心配りに徹しただろうと思われる。豪胆でありながら優

しい心配りができる人、というイメージが湧いてくる。



 東北人にはこのような気性が備わっているのだろうか。ことに望んでわあわあ大

きな声は出さないけれど、やるべきことはきちんとやって始末をつけてしまう、と

いうような気性を、大なり小なり皆持っているのだろうか。


 大谷翔平の活躍を見ていると、どうもそういう気がして仕方がない。あれほどの

大スターでありながら、それを誇示するような姿が微塵もないし、どんなに周りに

騒がれようと、静かに自分のやるべきことに専念していて騒がない。


 静かで落ち着いた尾花沢の街並みを見ていて、そんなことを思った。




訪問記録