台風の崩れが去って、ドンガラガッタの夏空が蘇った。
朝の散歩を再開した。めったやたらに暑いけれど、空を見上げても「はるか遠
く」の空ではない。ただ単に暑いばかりで、遥かな山の涼しい緑もないし、涼風も
吹いてこない。都会の夏はほんとにもう、どうしようもない。
遥か遠くの夏空に憧れる。緑の山の上に、青い空が遠く広がっている、胸のすく
ような夏空が、どこかにきっとあるはずだ。それはやっぱりイナカでなければなら
ないような気がする。山のイナカでも海のイナカでもどっちでもいい。
都会の夏が煮ても焼いても、冷やしてもとても食えたもんじゃないので、人は都
会を脱出する。逃げ出して、山の遥かな空や、海の遠い空を眺めに行く、のではな
かろうか。そしてひとときそれを眺めてなんだか安心し、しぶしぶ還って来る。
そんなことなら、いっそのことイナカに住めばいい、というけれど、イナカには
飯の種がないし、都会ほど便利でもない。だから田舎に憧れても、どうしても都会
に帰って来る。飯の種と、便利さと引き換えにして都会でくすぶる。
しかし、どうもよく考えてみると、「夏の空」を田舎に求めるばかりじゃなく、
いつでも「ここじゃない何処かにそれはある」と思いつめている自分がいる。いい
ものはあっちのどこかにある、という思いから抜け出せない自分がいる。
そうしてハタと気付く。人類は大昔の昔から理想郷を、ここじゃやに何処か、に
求めて止まなかったのではないか。しかしその空しさをイヤというほど味わってき
たのじゃなかったのか。それをすっかり忘れて、またぞろ「ここじゃない何処か」
に目を向ける。いやはや、何時まで経っても 学ばない。
それにしても、イナカを歩きたい。