2025/08/25

あかあかと暑き日落ちて秋めくや

                 



 いくら何でも、もうそろそろ、

 

 と思えど、一向に聞く耳を持たぬらしく、毎日熱中症の暑さが続く。どういうことになっ

ているのかよく知らないが、ともかく猛烈な日々がひたすら続いている。いい加減にしろ

よ、バカ野郎! の怨嗟の声が世に満ち満ちているけれど、まったく知らん顔だ。


 この地域は、もうずいぶん長い間雨らしい雨が降っていない。ゴロゴロ様が申し訳程度に

鳴ってみても、シャワーのひとひねりほどの水気が落ちて来ただけ。土は乾きに乾き、仕方が

いので夕方水を撒く。水をかけたところから、蒸気のような煙が立ちのぼる。



 というように、天を仰いで恨み節をどっさり呻ってみても、一向に埒が明かない。オ~

シ、そうならば、この暑さにこっちの体を合わせるしかないではないか、と思い、先日用事

があって日盛りのカンカン照りに表を歩いたら、なんだか頭がぼんやりしてきた。


 引き続きの暑気払い懇親会でちょびっと酒を呑んだら、あろうことか心臓ハカハカ、足取

りヨロヨロ、頭に砂利が詰まってまともに歩けない。休み休みやっとのこと帰宅してクー

ラーに籠ってどうにか回復した。暑さに体を慣れさせる⁉ とてもできた相談ではない。



 暑さに体のほうを慣れさせる、などというのは、若い人の言うことだと気づいた。齢より

はとてもそんな器用なことはできないのだ、としみじみ思わされた。頭も体もカスカスにな

って、適応力がゼロになってしまっている。暑さに身を置けば慣れるどころか死ぬ。


 来年以降もこんな按配だったら、一体どうしたらいいのだろう。クーラーに籠ったきりは

や三月、を毎年繰り返すことになるにだろうか、それではあんまりにも寂しすぎる。涼しい

ところへ行って過ごせ。それには金が要る。ひと夏を軽井沢にご招待、てなことはどうか⁉


 年寄りには行き場もない! カナ?




2025/08/23

稲の花すでに実となる温暖化

 



 もはや新米の話となっている。


 むろん価格が高いか安いか、これが問題だ。一時期バカ大臣の無能により無暗に価格が高

騰し、日本人なのに米もまともに食えないのか、なんと情けない国だろう、と思ったが、こ

こへきて少し値段が落ち着いたようだ。しかし油断するとまた誰かに、してやられるナア。


 で、今年の新米は、異常気象のためやっぱり高いままだよ、と盛んに言いふらす人もい

る。異常気象なんだから、と言われれば、悔しいけれど納得するしかない。しかしほんとに

不作なのか、それとも平年並みには収穫できるのか、ユメ騙されないまいゾ。



 昔は米の収穫は10月ごろだったように記憶している。二百十日を無事乗り切った稲は、晴

れて秋空の下で収穫される。天高く米肥える秋に、威風堂々、新米が出回って来る。なにし

ろこれが旨い、脂の乗ったサンマやよく肥えた鮭も旨い、だから食欲の秋。


 ところがこの頃、いつの間にか、こっちに断りもなしに、新米は9月、になってしまった。

そんなに早くして、一体どうしようというのだろう。まだ実りの秋に程遠く、なにしろ真夏

がそのまま続いている。これじゃあ、食欲の秋じゃなくて、残暑の疲れでしかない。



 ともあれ、日本人はやっぱり米だよなあ、ということを、このバカ高値で思い知らされ

た。食の洋風化などと言われても、やっぱり米が無ければ夜も日も明けぬ。なにしろ2千年の

長きにわたって、ほぼ米ばかり食ってきた。もはや血肉に溶け込んでいるに違いない。


 それではあるが、トランプが”日本人よ、アメリカのコメを買え! ”と言っているらしい

し、へい、承知致しました、ということで、これでどういうことになるのか? 日本にどか

どか米が入ってきて、コメ増産に舵を切って、結局あふれ出して捨てるのか⁉


 今回の米騒動、日本の無能無策がよく見えた。




2025/08/22

一日のいのちと言えど酔芙蓉

 



 酔芙蓉の花は大輪である。


 なおかつ艶やかな紅色に染まって、この世に君臨するが如き顔で咲いている。しかし実

は、たった一日で萎んでしまうのだそうだ。栄耀栄華を競おうとしても、一日だけじゃあど

うにもならないのじゃないか? それを思うとなんだか哀れでもある。


 花の季節になると毎日々々、大量の白い花を咲かせる。朝のうち白かったのが、昼過ぎご

ろになると、ちびりちびり一杯きこしめして、夕方は艶麗なる酔顔と変わるらしい。まあ、

夕方酒を引っ掛けるのは、世の習い、世の常だから、これはやむを得ない。



 どうもこの花を見ると、名だたる花魁を夢想してしまう。毎日夕方に目を欺くほどの濃艶

な女性に変わるのだが、その裏はたった一日だけのいのちである。美しい姿の裏に、哀しい

運命を背負っている。しかしその哀しみを表に出すことは、決してできない。


 考えてみれば、人はさまざまな運命、今でいえば環境のもとに生れ落ちる。それは誰であ

っても選び取ることはできない。取り巻く環境は実にさまざま、生きやすい環境もあれば、

生きづらい環境もあるだろう、がしかし、その環境の中で生きてゆくしかない。



 もし生きづらい環境に生まれたら、そこからなんとか脱出することを夢見るに違いない。

どうやってその環境から抜け出し、思うような環境に身を置くことが出来るのか、これもま

た、星の数ほどいろいろあって、これが正解だ、というようなものはないだろう。


 そしてシンデレラの物語が生まれる。さまざまに悪戦苦闘して脱出してきた結果が、これ

が幸福というものだろうか。さまざまな環境を背負って生きて来たから、これが幸福、と万

人が思うものは、これまたないに違いない。シンデレラは果たして幸福なのかどうか?


 幸福感はきわめて個人的、自分がよければそれでいい。




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