2025/09/24

ふと気づき香りに寄るや葛の花

 



 嫌われモノの葛だが、花はまた別。


 大繁茂の葉裏にひっそりと隠れるように咲いている。花の色は鬼の葛に似合わしからぬ

可憐な紫色で、野の花に似つかわしく思える。試みにその花をクンカクンカ匂ってみると、

ほんのかすかだけれど、実に清々しい香りが周りに漂っている。


 その香りは秋の澄明な水のように幽かに漂っていて、沈丁花や木犀のように「どうだ、い

い香りだろう、嗅ぐべし! 」というような押しつけがない。人知れず咲いた花から、人知れ

ず香っているので、ややもすると花も香りも、気付かぬまま通り過ぎてしまう。



 香りがある花、無い花、いろいろあるけれど、あの香りは鳥や虫を引き付けるためのも

のだろうか。どうも遅くに出現したヒトのためではよもやあるはずがないと思える。なにし

ろ鳥や虫は、いや動物すべて、匂いで食えるものか食えないものか、判断している。


 とすると、動物どもは匂いに命を預けている、と、こういうことになるのだろう。だからみ

な(動物は)、匂いに極めて敏感で、猫なんぞは食えそうもないと分かれば、プイっと横

向いてしまう。あれは食わず嫌いなのではなく、食ったら死ぬ、と思ってのことだろう。



 それに比べ、われらホモサピエンスは匂いに鈍感にできている。食えるものかそうでな

いものか嗅ぎ分ける、という動物としての基本のキをすっかり無くしてしまったらしい。だ

から、なんでもかんでもひとまずは食ってみる、という作戦に出たようだ。


 かくして・・・茸を無暗に食って七転八倒し、フグをやたらに食らってあえなくなったりして

手痛い勉強を重ねてきた。その結果、ますます匂いに鈍感となり、その代わり、クサヤを発

明し、鮒ずしを作り出し、しょっつるを発見した。どっちがいいかなあ!


 セイジ家の嘘っぱちを嗅ぎ分けられたら。


 


2025/09/23

山里の空澄んできて秋彼岸



 


 季節とは正直なものである。


 暑さ寒さも彼岸まで、と言い古されてきたけれど、ほんとに涼しい爽やかな風が吹くよう

になり、朝などはちょっと寒いぐらいなので、短パン半袖を止め、早々と長袖、長ズボンで

散歩に出ることになった。さしもの酷暑もようやく諦める気になったかな?


 例年であれば、日中の気温はまだまだ残暑なのかもしれないが、今年はもう秋だなあ、

と肌が感じている。こうもぴたりと季節(感覚的気温)が変わるのであれば、いままで散々

夏の悪口を愚痴ってきたけれど、もうそれを止しにしないといけないかもしれない。



 なにはともあれ、これからは炎天に恐れをなさずに済む。今までは「年寄りは表を歩くん

じゃねえ、死ぬぞ、オラ! 」などと散々ぱら脅かされ、虐げられてきたが、これからは威風

堂々胸を張って表を歩けるのじゃないかと、大いに期待している。


 もしその気になれば、大手を振って、驚くほどデカい顔をして、野っぱらに出掛けること

ができるのだ。これはまずもって嬉しい。彼岸花で真っ赤に染まった土手の道、優しい陽

を受けて黄金色に輝き波打つ田んぼの連なりの中を、だれに遠慮もなく歩けるのだ。



 いっぽうで、少しづつ陽が短くなるのは寂しい。お昼が過ぎれば、お天道様はガックシと

首うなだれ、弱々しく西の空へ転がり落ちてゆく。それはもう、ウソのように極端であって、

午前中のあの輝き渡る溌剌さと元気とは、いったいどこへ行っちまうのだろう。


 木の葉がはらはらと舞い落ち、裸木の赤く色づいた柿の実が儚い西日を受け、山の端

が陰ってくると、そこはかとない寂しさに背中を乗っ取られて、あとどれだけ歩けるだろう

かと、たちまちチキンの心情になっちまうから情けない。陽よ短くなるな!


 巡り来て去る季節を、淡々と送れ。




2025/09/22

猛暑去り新河岸川に萩の雨

 



 先日、新河岸川の岸辺を団体で歩いた。


 新河岸川は江戸時代の物流の動脈だった。埼玉の川越と江戸浅草を結んで、江戸から

は日用品や古着、金肥、川越からは穀物やさつま芋、木材などを船に乗せて運んだと

いう。そういう古い川筋なので、近くには昔ながらの建物や富士塚などが残っている。


 まあそういうものを見たり、復元された「引又河岸」を眺めたりして、急に涼しくなった空

の下を楽しんできた。夕方になってときおり小雨がぱらついたりしたが、ほぼ曇りであっ

て、ああ! 秋がようやく来たなあ、と実感した一日だった。



 今印象に残っているのは、野火止用水が新河岸川を乗り越えるという仕掛の、ジオ

ラマと、復原模型である。道路の端にジオラマを納めたガラスケースがあり、その上に木

製の復元模型が置いてあった。川を乗り越える仕掛けは実に巧妙で感心した。


 その仕掛は、土手の上まで引いた野火止用水を下流の木製の背の高い枡まで流す、そ

して枡の中の水位が天井まで来ると、そこから更に下流へ流す、というふうに順次枡を使

って、枡の上端まで水を溜めれば、おおむね水位を維持したまま流せる、という仕掛だ。




 もう一つ印象に残っているものがある。それは「白子貝塚公園」の縄文海進の地図と貝

塚の剥ぎ取り展示。海進の地図は公園の隅の大きなタイルに描いてあった。この時海は

関東平野のずいぶん奥まで(茨城の古河辺まで)入江だったんだなあ、と知った。


 また、実は貝塚は発掘されたまま野外で野ざらしになっているものとばかり思っていた。

それがきちんと土まで付けて剥ぎ取り、無数の貝殻が層を成して堆積している状況を展

示している。わが想像力は極めて原始的でアホであったか、よくよく分かった。


 ともあれ、新河岸川に秋が忍び寄って萩が雨に濡れている。



 短い動画  (BGM、キャプション) 

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