2025/12/01

なにごとか覚悟を決めて十二月

 



 覚悟というのも大げさだけれど・・・


 十二月に入ると「さあて、いよいよだな」という気持ちが湧いてくる。これもなにが「いよ

いよ」なのかさっぱりわからない。だいいち引退爺さんに「いよいよ」などという切羽詰まっ

たような事態がある筈もないが、ともかく気持ちの持ちようがそうなって来る。


 世間様が忙しい時期なのだから、隠居爺いと言えども、なにごとかをこころに決めないと

顔向けできないような、そういう架空の気分が湧き出してしまうのかもしれない。世間の

方は「余計なお世話だ! 」と言うであろうが、とにかく世間に混ざっていたいのだ。



 個人的には「冬至」が、いろんな意味で大きな区切りだと思っている。まずそれまでは、1

分1秒と陽が短くなって、あわや四時半ごろにはもう暗くなってしまい、もう夜ばっかりに

なってしまう。この季節の夜は、暗くて寒くて寂しくて、悪魔の時間帯である。


 それが冬至を一期として、陽は1分1秒と伸び出し、お正月過ぎごろにはびっくりするほ

ど日没が遅くなっている。あな嬉しや、お日様の完全復活である。この時期、寒さは死ぬ

ほどだけれど、輝きを増す力強いお日様に、なにやら希望も湧いてくる。


 だから心情としては「冬至までの我慢だ! 」が覚悟の中身である。陽ざしの復活に棹

差すように、びりびりと寒さが身を縛り付けてくるけれど、なあに、あとは惰性だ。寒さの顔

を見ないようにして、なるべく知らん顔を決め込んでいると、いつの間にか春が来る。



 冬至以外にもいろいろと覚悟を決めておく必要があるかと思う。ビンボーだから借金取

りが押し寄せて来るだろう。世間ではクリスマスというような大行事もある。クリスチャン

ではないから、カンケイねー! のだが、世のなかの騒ぎに落ち着いてはいられない。


 正月準備というものもかって確かあったようだが、我が家はいま何もしない。紙に印刷

された松飾を、ひょいっと玄関に吊るせば、ハイ! おわり。おせちなども作らなくなった。

ンなもん作っても、喜んで食う人がいない。年々歳々、行事は痩せ衰えてきたなあ。


 さあ、冬至まであと20日。




2025/11/29

木枯らしや月の明かりも吹寄せる




 いよいよ木枯らしの季節がくる。


 とは言いながらさりながら、近ごろトンと木枯らしに出会わないような気がする。びょうと

吹いて、外套もなにもひっぺ返す様な生な木枯らしがなくなったように思う。が、しかしこ

れは隠居になって、ほとんど戸外をさ迷わなくなったせいであるかもしれない。


 温暖化で木枯らし勢力がガクンと減ったのか、表に出ない年寄りだから出会いがないの

か、それはともあれ、上州の空っ風がそのままこっちまで駆けつけたような、生なましくて

勢いがある木枯らしが、なんだか懐かしい様に思える。



 木枯らしの季節になれば、屋台のおでんが旨くなる。歩く人もない歩道の片隅に、薄明

りが灯って湯気が白い。苦いようなイガイガするような燗酒を喉に流し込んで、はんぺん

やら大根やらを、なぜかそそくさと突く。なんとも貧乏くさくてとてもいい。


 どこかで一杯引っ掛けて、最寄りの駅に帰り着いたとき、びょうと木枯らしが吹いて、ラ

ーメン屋台が濛々と湯気を上げている。こうなるとやはり、この屋台をそのまま見過ごして

は帰れない。ちょっと立ち寄って、食い過ぎだなあ、と反省しつつラーメンをすする。



 ところで、風の又三郎の運動場で吹いた風は、あれはやはり木枯らしだったのだろうか。

この物語をきちんと読んだ記憶がないけれど、風の音だけは耳に残っている。

っどど どどうど どどうど どどう     青いくるみも吹きとばせ

すっぱいかりんも吹きとばせ  どっどど どどうど どどうど どどう


 この擬音と、それからくるみやかりんの葉っぱを吹き飛ばすのだから、どうも木枯らしに

間違いないようだ。木枯らしが運動場に吹き抜ける擬音として、これ以上印象的な表現は

ないと思われ、そのためか長く印象に残っている。賢治さんは偉かったね。




2025/11/28

ただ歩く小春の浜を何処までも



 

 東海のどこかの浜辺だった。


 この季節とは思えないほどの温かい小春日和で、あまりにも気持ちがいいから、ざくざ

くと小石の浜をあてどなく歩いた。まどろむような静かな波が岸辺に寄せている。足元は

富士の溶岩が波で砕かれてできたかに見える、砂ではなく黒っぽい小石である。


 空はどこまでも晴れているし、海の水は澄んで遥かな沖まで青い。遠くの岬の山影がべ

ったりと青く染まって海に溶け込んでいる。なぜだかわからないが、たまたま富士の秀麗

な裾野は霞んでいて見えなかった。けれどこの浜全体が春のように温かい。



 こんなにアッケラカンとして明るい冬の日もあるのだなあ、と感心してしまった。どこを見

ても暗く陰鬱な影は、その染みほども見当たらない。どこもみな粒のような陽光が煌め

き、悠々閑々、落ち着き払っている。こんなことがあっていいものなんだろうか。


 かと思えば、毎日吹雪に吹きまくられる冬もある。空は暗い暑い雲にがっしりと蓋をさ

れ、毎日まいにち雪や雨が降る。もう要らない、と言っても聞いてはくれない。暗くて寒く

て、こころ浮き立つようなことは、まったくどこにも転がっていない。



 日本列島は実にさまざま変化に飛び過ぎている。けれど住んでいるところが、まあまあ

平均的なところだろう、と自動的に思いながら生活している。だからこういう東海の浜辺

のようなところへ、たまたま行くとその違いが深く認識されるのだろう。


 しかしながら、日本国中どこ構わず住む、というわけにはいかないし、またどこ構わず旅

をする、などという事も出来ない。狭い一か所に閉じ込められている身とあってみれば、

出来るのはせいぜい妄想を膨らませるぐらいのところ。仕方ないよなあ。




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