2025/12/04

けなげにもまだ花求め冬の蝶

 



 今ごろ蝶がヒラヒラしていていいのかと思う。


 ところが居る、ヒラヒラしている、花なんかろくなものがないのに、ちゃあ~んと停まって

食事に余念がない。蝶と言えば春、だとばかり思っていた。ところが野っぱらを歩いてみる

と、ガンガン照りの真夏だろうが、涼風の秋だろうがお構いなくいるのだ。


 さすが冬の蝶は尾羽打ち枯れ、満身創痍みたいになっているけれど、蜜を求めて花から

花へ飛び交っている。その姿は真摯で必死のように見え、思わず立ち止まってその姿を

追ってしまう。生きようとする懸命さみたいなものがひしひし迫ってくるようだ。



 その季節ごとに活躍する、要するに目立つ、蝶の種類があるのだと思う。だからその季

節ごとに、生まれ育ち、あるいは動物としての義務を果たして死んでゆくのだろう。と、そ

う思うが、その辺りのことはチンプンのカンプンで全く知らない。困ったもんだ!


 今からでも少し、昆虫や小鳥やその他生き物の名前を覚えたい気がするが、おそらく覚

えられないだろうナア、という気満々である。なにしろ今まで覚えていた、何がし、かにが

し、瞬く間に脳ミソから消えていく日常なのだ。とても新しいものなど一滴も入るまい。



 野っぱら歩きが趣味だから、ほんとはそういうことを死ぬほど知っていていい筈だが、ま

るで知らない。思い出してみると、野っぱら歩きが好きになったのは中年になってからで、

それまでは恐ろしくなんにもしないグダグダ人間だった。


 そうして野っぱら歩きを趣味と感じるようになってからも、とにかく遠くまで歩くことが第

一であって、途中の花や蝶や虫などに、1mmも関心を寄せなかった。おそらくそんなこん

なが重なって、かくの如きダメ男が出来上がったのだろう。今となっては遅いよナァ。




2025/12/03

冠雪の富士おおらかに冬の空



 

 近くで見る富士山は恐ろしいほど大きい。


 富士吉田を歩いていた時、ひょいっと角を曲がったら、真正面にとんでもなくでかい白

い壁がそそり立っていて、ハッと息を呑んだ。ちょっと間があってようやく富士の姿だと分

かって、なにやら知らぬ神々しい気持ちが浮かんできたことがあった。


 御殿場あたりから中央道へ乗り換える際も、車窓にドカ~~ンと富士が迫り、びっくりし

たことがあった。この時もやはり、なぜだか知らないが神々しい気持ちになって、しばらく

ぼんやりとその姿を眺め尽くした。富士を見るとどうして神々しい気持ちになるのだろう。



 もしかして、日ごろついぞ見たこともない、恐ろしく巨大なものを突然目にし、どうしてい

いのかビックリして分からず、思わず知らず「ヘイ、恐れ入りやした! 」と、当面畏まって

しまう、という事なのだろうか。それを自分では、神々しい感じ、と決めちゃったりして…


 そうだとすると、なにしろ目にしたことのない大きなものには、まず恐れ入らなければな

らない。そうして神々しく感じなければならない。で、もしかして、ネパールなどに行った日

にゃどうなる。目の前のヒマラヤ山系すべてに恐れ入らなければならない。忙しいこった。



 富士山の話だから、いきなりネパールへ行かなくてもいいのだが、実は富士山に登った

ことがない。外国人でさえわらわら登るらしいけれど、日本人にあるまじく、生涯登らずに

終わりそうだ。あんなところに登るのはなんと言っても苦しそうだ、御免蒙る。


 ひょっとして、富士は登るものではなさそうな気がする。映像で見れば砂と石ころだらけ

で、森もなければ川もないし、美しい湖などとてもありそうにない。砂粒ばかりを眼にして

どこが楽しいのかよく分からない。山登り大ニガテを棚に上げて、そう思う。




2025/12/02

冬日射す城下の屋根の暖かき

 



 見おろすと城下に冬の日が射し始めた。


 郡上八幡にこんなに立派なお城があるとは知らなかったので、白壁の清々しい天守を

見て少しく感動した。こじんまりした天守だけれど、それがまた郡上八幡という山に囲まれ

た小さな城下町に似つかわしく思え、天守も城下もたいへん好ましく感じられた。


 天守のある高台で、手すりに摑まって眺め下ろしていたら、隣にいたおっさんが、いきな

り「郡上のなあ」と歌い始めてビックリしたが、「これが有名な郡上踊りの歌じゃ」と教えて

くれ、頼んでもいないのに一節を歌ってくれた。しわ枯れた、いい声である。



 その歌がいまだに耳に残っている。

 「ぐじょうのなぁ~、はちいまん、でてゆくときわぁ~」

 「あめも、ふうらぁぬうに~そでしぼ~る」


 おっさんはその後、ここのお殿様は青山という苗字で、江戸屋敷のあったところが青山

という地名になって現在に引き継がれている。だから東京の青山はほんとは、ここのお殿

様の持ちもんじゃったのだ、と語ってカンラ、カンラと笑った。


 このおっさん、ちょっとばかり押しつけがましいと思ったけれど、決して不愉快な気分に

はならなかった。おっさんの、並々ならぬ郷土愛とお国自慢が言葉の端々にあふれ、聞く

ものの胸までも打ってくるようだった。ああ、あのおっさん今どうしているだろう。



 郡上町は長良川が市街地を貫流し、また周囲の山から豊富な水が湧き出して、さながら

湧き水の街の如くである。いたるところに小さな流れがあり、澄み切った旨そうな水が流

れている。すっかり気に入ってしまい、町中いたるところを歩き回った。


 長良川の支流、吉田川の対岸も歩き回った。細い路地にびっしりと昔懐かしいような建

物が並び、旅ごころをイヤ増して掻き立てた。日本列島のいたるところで、人々は落ち着

いて静かに暮らしているのだなあ、といたく実感した。冬の日も温かい城下町である。

 



訪問記録