2025/12/16

初雪やのっぺらぼうの白さかな

 



 雪が降ると辺りいちめん真っ白くなって見分けがつかない。


 田んぼも畑も、凸凹がなくなってどこが何やら、さっぱり分からなくなる。そんな真っ白な

原野がずう~っと向こうまで広々と続いて、いつもは歩けないそんな野の広がりを歩いて

みたくなる。だがもちろん、そんなところを無暗に歩いては叱られる。


 初雪だとそんな光景も、なにやら初々しく珍しく目に映り、山も野も川もみ~んな雪にき

らきら輝いてとても美しく見える。「雪見」などと言えば、雪国の人は目をむきそうだが、め

ったに雪が降らない地方では、美しいものを見に行く、という感覚になっている。



 しかしそれも、初雪がそのまま根雪にならないから、そんな呑気が言っていられる。たち

まち根雪になって、来年の春まで、永があ~い期間、もう地面が見えないとなれば話が違

う。雪の顔など見たってうんざりするだけだし、邪魔っけだし、いいことは一つもない。


 そういう極端な気候の違いが、この日本列島には厳然として存在する。列島の日本海側

と太平洋側。前者は雪、後者は晴れ、截然と線を引いたように分かれる。それが冬中ずっ

だからたまったものじゃない。日本海側の人だけが大損をこいていることになる。



 その代わりと言っては申し訳ない次第だが、春が来たときの喜びは、太平洋側の比では

ない。頭上を低く覆っていた暗雲が次第に消えて、陽光がいつもと違うきらめきを見せ、

吹く風がなにやら温く感じられる。春が来たのだ! 待ちに待った春だ‼


 こうなったっ日にゃ、もう一気に春が展開する。梅が咲き同時に桜が膨らみ、山の雪がな

くなって、ブナの初々しい緑が陽の光にはしゃぐように照り輝き、濡れた山肌に蕗の薹、節

分草、片栗の花が咲き誇り、日いちにちと温かさが増してきて、初夏の陽気となる。


どっちに住むのがいいのかナア!





2025/12/15

星空に向かって高く鶴の声

 

                              (AIさん作成)


 鶴は大きくて、しかも美しい鳥…


 首と脚がことのほか長い、ということは美人の条件にぴったんこ、ただぼんやりと突っ立

っているだけでも、美しく見えるのだから得な性分に生まれついている。ことにタンチョウ

ヅルは、羽のほとんど雪のように真っ白で、頭が紅のように赤く、とても美しい。


 ただ以前から気になっているのは、この鳥はなにを餌にしてあの巨大な体を維持し、飛

ぶエネルギーを得ているのだろうか、ということ。あの巨体で2000㎞近い渡りをするも

のもいるようで、なまじなエネルギー消費ではないだろうと思う。



 それで例によって「どたんば検索」したところ、彼は雑食なんだそうだ。草や穀物も食う

が肉も食っちまう、というから油断ならない。あの優しそうな顔に騙されて、のんびり

水の中で泳いでいた魚が、ひょいっと摘み上げられて、喉の奥へ放り込まれてしまう。


 寒い田んぼの中などで、なにかをしきりに啄んでいる姿からは、魚や鼠をとっ捕まえて

食っている姿を想像できないけれど、美しく、優雅で、姿あでやかな鶴とは言え、その体と

活動のために膨大なエネルギーが必要なだけに、これもマ、いたし方がないことだ。



 「亀は万年、鶴は千年」とは誰が言いふらしたのか、ともかく昔からそんな風に言われ

て、真に受けてしまっているけれど、実際の寿命は約20年だそうだ。それでもまあ、長寿

のうちだと思う。また、毎年同じ個体がつがいを結ぶということも事実ならめでたい。


 そんな風に持ち上げられ、餌までもらっている鶴だけど、昔は食われてしまって、絶滅寸

前になった過去もあり、ちょっと考え込む日もあるのではないか。星降る夜半、何ごとかを

思って身もだえ、虚空に向かってひと声叫びだしたくなる時があるのではないのか。








2025/12/13

霜枯れに耐えに堪えたる菊の花

 




 なんだか「おしん」みたいなタイトルだなあ。


 散歩道で菊の花をよく見かけるが、もはや枯れ始めているのがある。あでやかな赤や黄

色の花びらが、縮こまって茶色に変色し、それでもなお散らずに茎に着いている。桜のよ

うに散ってしまえば、この老いさらばえた花をみなくても済むのになあ、と思う。


 そう思うけれど、老いさらばえた花を見ると、自分の姿をうんと上空の棚に上げてしまっ

て、なにやら哀れを感じる。おそらくその姿を無意識のうちに自分と重ねてしまって、どこ

かで仲間のような、親しげであるような、そんな哀れさが沸き上がってくるのだろうか。



 菊はその姿かたちも、あんまりでしゃばないから好ましいけれど、その香りも何とも言え

ない。ほのかながらツンと鼻孔を刺激し、ふんわりと鼻に抜けていく。菊の咲いているのを

見ると、たいがいはクンかクンかと香りをかいでみる。そうして満足して歩き出す。


 いっそのこと、この花を食っちゃえ、と言うのが黄菊の甘酢漬け。丼を近づけると、鼻か

ら口から目のあたりまで、かぐわしい香りに満たされ、しんなりした花びらを口に入れれ

ば、しゃきしゃきの歯触りが実にこころよい。しかしまあ、最近はあまり見かけなくなった。



 平安貴族という人たちにはちょっと変わった趣味があったらしく、この枯れそぼった菊

の花もまた床しいものとして珍重したらしい。ンなもん、なんの役にも立たないのになあ、

と言うような合理性がなかったのかどうか、「移ろう菊」として大事にされたそうだ。


 これは、だんだん枯れてゆく過程で、花の色が微妙に変化する(例えば、白菊が紫色に)

過程を慈しんだようで、今から思えば、ヱー~、なんで”⁉ なのだが、ともかくそういう風

習があったと、これは「tenki.jp」の解説で縷々説明している。


 なんとまあ、そういうご先祖様がいたんだねえ!




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