2025/12/20

陽だまりに戸惑うらしく返り花

 



 冬桜が咲いているのを偶然見つけた。


 なんでまあこんな時期に! と思ったけれど、うっかりとは言え咲いてしまったからには

全部の枝に花をつけるらしい。なかんずく、花びらがほんのりと紅く色づいているのもあ

り、これはこれで開花という全責任を全うするらしく思われた。


 早春を思わせるような小春の陽が明るく降り注ぎ、桜でなくてもうっかり間違えそうな陽

気なのだから、まあ、こういうこともあり得るのかなあと思ってもみるが、しかしいくらなん

でも桜はやり過ぎのような気がする。「冬桜」なんて言う言葉までできている。



 桜に限ったわけでもなく、ツツジなども変てこりんな時期に花を咲かせたりするものがあ

る。しかし今まで見た限り、ほんの一部の枝に、ほんの少しだけ咲かせてしまった、という

状態だったので、なにかうっかり間違ってしまったことを恥じているようでもあった。


 どうして植物はこういう「つい、うっかり」をしてしまうのだろうか?  例によって「どたん

場検索」すると、植物の開花は、日の長さ、気温などに大きく影響されるものらしい。そん

なもん、照る日曇る日で変わるだろうし、気温など毎日変わる。


 要するに日の長さや気温など、決してアテにできない要素であり、そのちっともアテにで

きないものに左右されるわけだから、そりゃあ、うっかり間違えるのもやむを得ない、と思

う。これまでは「今頃咲いて、バッカじゃねえの」なんて言っていたのは、全面取り消しだ。



 しかし帰り花と言うのはそういうわけもあって、かわいそうなほど意気消沈して咲いて

いるものが多い。威風堂々胸を張って、というものはまず見かけない。「へい、すんませ

ん、こんな時に、こんなところでうっかり咲いてしまって・・・」と平謝りしている。


 こんど見付けたら元気づけてやろうと思う。「なんのなんの、花のない時期にうっかりと

は言え、わざわざ咲いてもらってタイギなことです。おかげで楽しい気分になります。寒い

時期に本番の春を思い描くことができます。どうか卑下なさらずに・・・」


 こっちもシオタレテはいられないゾ。




2025/12/19

図書館で多く借出し冬ごもり

 




 本を買わなくなってもう大分経つ。


 買いたい本が分からなくなったし、市の図書館が近場に新築されたので、もっぱら図書

館を利用するようになった。と言っても、ほんの時たま立ち寄って借り出してくる程度であ

って、無暗に立ち寄ってごってりと本を抱えてくる、と言う真面目さは持ち合わせない。


 単行本をいそいそと読む人が、ほんとの本好きな人だろうと思うが、こちらは専ら文庫

版、新書版である。こっちのほうが小さくて軽くて、もち運びが楽ちんだ。寝床で寝っ転が

って読むのを常としているので、重くておっきい本はなかなか扱いに困ってしまう。



 昔買った本が本箱に無暗やたらに押し込まれ、茶色く変身した紙屑のような按排になっ

ているが、捨てよう棄てようと思いながら、なかなか実行できずにいる。今は無用の紙くず

とは言え、いささか惚込んで、夢中になった過去もあり、ポイっというわけにいかない。


 なかなか捨てられない古女房みたいなものかと思うが、よくよ~~く考えてみれば、今

どきは向こうがこっちを、いとも簡単に鼻歌交じりで捨て去る世の中、まあ捨てられなかっ

ただけ儲けもの、なんと言っても家事全般、死ぬほどめんどくさいからなあ。



 冬ごもりなどと、こと改めてしないだろうけれど、寒いからやっぱり出不精になる。これが

雪に降り込められる北国などでは、実質的に籠ってしまう結果になるのだろう。かてて加

えて寄る歳なみ、よほどの用事があって、オーシ! と掛け声でもかけぬば出られない。


 そのような状況に立ち至れば、やっぱし頼るのは本。スマホ、パソコン、ネット、SNSの時

代だけれど、こっちの新しいメディアはまだ発展途上であって、成熟していないように思

われる。古い人間だと罵られようが、やっぱり本に勝る冬ごもりの道具はない。


 だけどほんとに読むのかなあ⁇




2025/12/18

冬ざれた里の遥かに雪の峰

 




 信州松本市のあたりで周りを見回すと、息を呑む光景が広がる。


 地上は冬ざれた寂しい眺めだが、ふと上空に眼を向けると、遥かな蒼穹に真っ白な雪が

テキレキと輝いている。雪の峰が、とんでもない高みに浮かんでいる。こういう光景は普

段目にしないから、なんだか神々しいような気分が沸き上がってくる。


 松本のあたりに住んでいれば、冬と春にはこういう景色が毎日展開するのだろうと思

う。冬には日ごとに白さを増す峰々、春には麓から緑が増す風景、これをタダで目にす

ることができる。羨ましい限りだが、毎日その景色に息を呑んでいては呼吸が苦しい。



 信州はいたるところ絶景の宝庫のような気がする。松本安曇野は山と川の美しさ、姥捨

てから見る善光寺平の水田の光景はひとしお。上田小諸は水と里の織りなす美しさ。佐

久平は浅間山の眺め。高遠は風の涼しさ。木曾街道は今に残る宿場のなつかしさ。


 信州がもう少し近ければなあ、と思う。日帰り旅行と言うのがちと無理であり、どうして

も泊りを考えねばならず、予約だとかなんだとか、ともかくめんどくさい、が前面に出てし

まう。好きな時にひょいっと行って帰って来る、という事が気軽にできないから困る。



 今後もなおもって信州に行ってみたいと思っているが、なにしろ人気観光地であるだろ

うから、できれば人があまり行かない時期に、人があまり行かない場所に行きたい。世の

中そんな都合のいいことばかり行くもんか! (怒!)・・・だよなあ!


 もし都合よく行くならば、塩の道と呼ばれる千国街道や、白馬青鬼の古い建物群など

を、日がなぶらぶら歩きながら巡ってみたいな、とこれは一つの夢物語。夢を持つのは大

切、ひょっとしてもしかすると、夢が現実になったりする。油断してはいけない!




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