2025/12/23

海女休む苫屋に凄き焚火かな





 海女さんは冬も海の仕事をするのだろうか。


 そこは知らないのだけれど、まあ厳冬の今ではなく11月ごろならば、もしかして海に潜っ

て貝などを獲っているのかもしれない。なにしろ現実の海女さんをまじかに見たこともな

いし、海女さんの仕事を調べたわけでもないので、実にイイカラカンの話なのだ。


 しかし彼女らが海に潜って漁をする姿をテレビなどで、見ると、いやはや実に大変な仕

事だなあ、と思う。水の中に潜るということを、例え2,3mほどの潜りにしろ、なまじに知

っているだけに、4mも5mも潜るという事がいかに大変な所業であるか分かる気がする。



 潜りを終わっても、彼女たちはそのままスタスタと家路を急ぐ、などということはなさそう

である。たいてい、「どっこいしょ」と浜辺の苫屋に引き上げてきて、狭い苫屋がどうにかな

ってしまうほどの盛大な焚火を作り、貝などを焼きながら焚火で暖をとる。


 そうすると疲れ切っているから、おのずと眠くなって「あ~、ああ~~」などと言いながら

ごろりと横になって、本格的で決定的な休憩体制に入る。こうしてその日の海の疲れを、

どこか遠いところへ雲散霧消させ、清々しい気分で家路をたどるらしい。



 これはもちろんテレビ映像などを通じて、かって次第にイメージしたものだが、AIもまた

同じようにイメージしたらしい。一発でこの画像ができてきて、「おおッ、すげえ! 」などと

血迷ってしまって、迷わずこの画像にしてしまったが、はたしてどうか。


 ほんとの海女さんの暮らしは、あんなテレビみたいなもんじゃねえ! という事かもしれ

ないけれど、街場のサラリーマンの暮らし位は、なんとか想像できるところだが、漁師、農

業、代議士、弁護士、医者、大学教授・・・これらの暮らしはトンと想像の外にある。


 日本人お互いを緩く想像しつつ暮らして。




2025/12/22

あしたから陽は蘇る冬至風呂





 いよいよ冬至である。


 一年暦日、特別だと意識する日はないけれど、冬至だけは別である。明日から陽の長さ

が変わり、世のなかが明るくなる日だという、特別な思いがある。春、秋の彼岸もまた何が

しか思うところのある日となっているが、冬至は特に思い入れが深い。

 
 なんといっても冬至は、一陽来復、復活の日である。明日から少しづつ日脚が伸びて、

それにつれ陽射しもだんだん強くなって、と思えばどうしても嬉しくなる。寒さは後しばら

く続くけれど、なんと言っても太陽が復活せにゃあ、まずは話にならない。




 これはもう世界的なことだから、地球上のさまざま地域でさまざまな祝祭が行われるら

しい。特に北欧では、極夜というトンデモな現象(下手するとこのとき欝になるという)があ

るそうだから、太陽の復活を待ち望む気持ちは、イカばかりであろうかと想像する。


 それで日本では、この日に「カボチャを食う」(なぜカボチャか? よく分からない)、「冬

至粥を食す」(アズキの粥らしい)、「ユズの風呂に入る」(なぜユズなのか? )、などで祝う

ことになっている。なんだか訳が分からんものばかりだが、ま、それはそれとして。




 かような次第で、太陽の復活を待ち望んでいるから、明日から陽の沈むころべランダに

出て夕日を眺めることにしている。あたりまえだけど、一日二日で目に見えるほど陽が伸

びるわけではない。ただそうしていると、お正月明けごろには、「ああ、伸びたよなあ! 」と

実感できるほどになって、ベランダは寒いけれど、こころは暖かくなる。


 その季節を表すものは、古代中国由来と思われる「節季」というものがある。しかし、北

京と東京は随分緯度が違うだろうし、また気候も違うだろうから、どうなんだろうと思う。

それに比べ、冬至、お彼岸は太陽の動きだから、これは絶対、だからいいと思う。


 こんなことを考えてるなんて、随分ヒマ人だよなあ!






2025/12/20

陽だまりに戸惑うらしく返り花

 



 冬桜が咲いているのを偶然見つけた。


 なんでまあこんな時期に! と思ったけれど、うっかりとは言え咲いてしまったからには

全部の枝に花をつけるらしい。なかんずく、花びらがほんのりと紅く色づいているのもあ

り、これはこれで開花という全責任を全うするらしく思われた。


 早春を思わせるような小春の陽が明るく降り注ぎ、桜でなくてもうっかり間違えそうな陽

気なのだから、まあ、こういうこともあり得るのかなあと思ってもみるが、しかしいくらなん

でも桜はやり過ぎのような気がする。「冬桜」なんて言う言葉までできている。



 桜に限ったわけでもなく、ツツジなども変てこりんな時期に花を咲かせたりするものがあ

る。しかし今まで見た限り、ほんの一部の枝に、ほんの少しだけ咲かせてしまった、という

状態だったので、なにかうっかり間違ってしまったことを恥じているようでもあった。


 どうして植物はこういう「つい、うっかり」をしてしまうのだろうか?  例によって「どたん

場検索」すると、植物の開花は、日の長さ、気温などに大きく影響されるものらしい。そん

なもん、照る日曇る日で変わるだろうし、気温など毎日変わる。


 要するに日の長さや気温など、決してアテにできない要素であり、そのちっともアテにで

きないものに左右されるわけだから、そりゃあ、うっかり間違えるのもやむを得ない、と思

う。これまでは「今頃咲いて、バッカじゃねえの」なんて言っていたのは、全面取り消しだ。



 しかし帰り花と言うのはそういうわけもあって、かわいそうなほど意気消沈して咲いて

いるものが多い。威風堂々胸を張って、というものはまず見かけない。「へい、すんませ

ん、こんな時に、こんなところでうっかり咲いてしまって・・・」と平謝りしている。


 こんど見付けたら元気づけてやろうと思う。「なんのなんの、花のない時期にうっかりと

は言え、わざわざ咲いてもらってタイギなことです。おかげで楽しい気分になります。寒い

時期に本番の春を思い描くことができます。どうか卑下なさらずに・・・」


 こっちもシオタレテはいられないゾ。




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