2026/01/07

七草は無けれど粥に柚子の皮

 

                             (AⅠさん作成)


 春の七草と言うけれど、おいそれとは見つからない。


 この七種類は、セリ(芹)、ナズナ(ぺんぺん草)、御形(ハハコグサ)、繁縷(はこべら=ハ

コベ)、ホトケノザ(タビラコ)、スズナ(蕪)、スズシロ(大根)、のこと、と書いてある。植物の

名をよく知らないので、こう聞いてもチンプンであり、野っぱらでも、たぶん素通りだ。


 それよりなにより、これらの草はもっと暖かくなってから咲きだすのだから、新暦のお正

月にある筈がない。だから、日本の伝統行事は旧暦でやらないと、なにがなんだかさっぱ

り分からん、ということになって、それゆえ感慨も湧かず、静かに消えてゆく運命にある。



 それはともかく、昔のやんごとなき人々は、ほんとうにこんな野っぱらの雑草を食ってい

たんだろうか。芹やカブ、大根なら納得できるが残りの野っぱら雑草は、アクとかエグ味な

どないのかなあ。どうも相当に無理無体に我慢して食していたように思えるのだが…


 さあ、京都の寒い冬が過ぎて、待ちに待った春になった、野っぱらには緑の若草がそこ

いらじゅうに芽生えてきた、冬の間緑っぽい菜っ葉など、ついぞ口にできなかった。そう

だ、あの若々しい緑を食おうじゃないか! ということで我慢して喰った、…と思う。



 「春の七草」とか「若菜摘む」とか言えば、なにやら温かい春の野に出て、のんびりユルユ

ルの気配だけれど、それはやんごとなき貴族様の生活だったのではないか? ドン百姓

(我が先祖も)だったら、んなことしていられない、早々に畑に出て耕さねばならない。


 それにしても、この方たちはなんの権利があって、一生を遊んで暮らせたのだろうか。や

ることと言えば、天子を巡っての権力争いのみ。あれだナ、やっぱ力だナ。力で平民を押

さえつけてノウノウとする。地球上、力が唯一モノを言うのは今も全く昔と同じだナア。




2026/01/06

寒の入り極まるところ永平寺

 

                            (ネットから)

 厳寒の時期に永平寺へ行ったことがある。


 いやはや、ひたすらに寒かった。森厳として静まる山と、そこに残る凍てついた雪が、い

っそう寒さを感じさせたかもしれない。また、ここで行われる修行の厳しさを勝手に想像し

て、この場所は寒いものだと最初から決めつけていた、ということもあるかもしれない。


 椅子に座って10人ばかりの見学者が、しんとして待っていた。この部屋は暖房が利いて

いてほんのり温かったが、後になって広い廊下や階段にに出たら、周り中から寒気に押さ

れて、ギクシャクするほど寒い。でも案内する若い僧侶はスリッパも履ていない。



 ここに来た修行僧たちが日頃どんな生活をしているのか、最初に座っていた部屋で説明

があり、トイレの使用、お風呂の入り方まで厳しい規則があることを聞いた。なにしろ風呂

は小さな手桶5杯のお湯だけで全て済ませるのだそうで、今でも記憶に残っている。


 ひととおり説明を聞いてから部屋から廊下に出たら、体が一気に寒さに囲まれ、身動き

できないように感じる。廊下や階段の板は、ぴかぴかに磨き込まれ光っていて、それがま

た、キンキンと音を発するが如く冷え固まっているように思われる。



 僧堂、仏殿、法堂など主な部屋を案内してもらったが、どこもまあ、バカでかく広く森厳

と静まり返り、寒さが一層強く感じられる。修行僧たちは、この火の気のない大きな部屋

で毎日の務めを送っているのだろうと思い、それだけでもえらい人たちだと思った。


 説明や案内をしてくれた若い僧侶は、白皙で目が澄んでいて、とてもきれいに見える。

毎日の厳しい修行と、簡素極まりない食事ををしていると、人間というものはこんなにき

れいになるものかと思った。もはや、自分の小汚い貧しい顔をどこかに隠したかった。


 あれから長い時が流れた。今でも同じ厳しい修行だろうナア




2026/01/05

休み終え仕事始めや空寒し

 





 あ~あァ、また仕事だなあ、と言う感慨は遠い昔の情。


 なにしろもう退職したのだし、そしてもう何年にもなるのだし、明日からまた仕事だァ、イ

ヤだなあ、という気持ちも遠い昔の出来事だったように思われる。いまは世間のいろいろ

からすっかり解放され、なんの義務もなく、ストレスもなく全面的によろしい。


 これは齢をとってからの最大に「いいこと」のひとつだと思われる。いつまでも元気で働

ける能力があるなら別だが、社会で働くというのはそれなりにストレスを受けることも多

い。このストレスと言うのに、案外と人間は弱くできているようだ。困ったもんである。



 ともかく正月の永い休み明けは、無理々々仕事に復帰しなくてはならないから、ひとし

おイヤだな感が強い。この長い休みに、呑んで食って寝て、また呑んでと言う生活だった

ものが、一夜明けてみれば、それらのよろしきことを全面的に断ち切らねばならない。


 これはもう、そうとうに由々しきことではないだろうか。懶惰の限りに身を任せていたも

のを、全部断ち切ってしまえと言われても、そうそう急には参らぬ、ちょっと待ってくれ、

徐々に、だんだんと、ゆるゆると断ち切る故、ちょっと待ってくれ、と言いたくなるだろう。



 それはともかく、我が仕事始めはどういうことになるのであろうか。家の中の大片づけ、

と言うのがある。正月に離れて住む家族が来て泊まった。ので布団類がいっぱい出たまま

だし、食器類も同様、これを日に干したり、洗ったりしてどこか隅の方へ押し込める。


 しかる後に家じゅうに掃除機をかけ、元の少人数のつましい形に整える。いつものとお

り、布団も食器もごく少ない数で充分だから、そうなっていないとなんだか落ち着かない。

それがとりあえずの「仕事始め」であるので、さあ! いざ敢行せん、仕事始め!




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