2026/01/31

水仙や海の怒涛を気にかけず

 

                                                                                                                                         (AIによる)


 越前の海はまだ怒涛の寒さだろうが、水仙が咲いているという。


 この花は見たところ弱々しそうな感じだけれど、見かけによらず寒さに強いらしい。もし

かして今頃は海が大声で騒ぎ立て、雪がみっしり積もっているのだろうけれど、ひょっとす

ると雪の下で咲きそろったこの花が、一休みしているのかもしれない。


 北風がびょうぉ~~っと吹きつのって荒い波が打ち寄せ、雪が横なぐりで吹雪いて、し

かし水仙は案外平気な顔をしている(…のではないかナ)。そうして雪が降り止む隙を狙

いすまして、なにごともなかったかのよう顔で、辺り一面香しく薫るのだろうと思う。



 この花はこちらの地方でも、畑の畔や道っぱたでよく見かけるが、しげしげと見つめたこ

とはない(だから見ていて観ていないだよなあ)。しかし「何やら花の構造が複雑なんだ

ナ」、ということは認識している。真ん中の黄色いラッパのような部分が繊細だ。


 ここで「どたん場検索」を発動してみたら、どうも三段構えの花のようだ。一番外側の3

枚が外花被、次の3枚が内花被、そして真ん中のラッパ状を副花冠というのだそうだ。十

分複雑である。そして色が白と黄色(別種も)なので、なんだか見た目が優しげでもある。



 このように見た目がえらく繊細で華奢な花が、真冬のど真ん中、寒い地方でモノともせ

ずに咲いてしまう、ということがドエライことのように思える。まあ、なんの花でも、寒い地

方では、戦車の如くがっちりしていなければならん! ということでもないけれど…


 越前地方では、さあ、水仙が咲いたからには誰がなんと言おうと、春である! と言って

いるかもしれない。なにしろ今年はとんでもない大雪が降り過ぎた。もういい加減にして

もらわねばならない。いくら何でも、大雪だは、選挙は強行するは、もう黙っていないゾ。


 越前に恙なく春が来ますように…



2026/01/30

寒紅や差してきりりと前を向く

 

                               (AIによる)


 列島の約半分ほどは大雪だという。


 残りの半分もなにしろ寒い。寒さにへこたれてばかりいないで、キリッと真っ直ぐ前を向

いて日々を送りたいと思う、が、どうしてもへなへなと部屋に閉じこもってばかりで、そうし

て「歩き始めた みいちゃん」ではないが、「おんも」に出たいと待っているのだ。


 しかしテレビニュースを見るにつけ、雪国の大変さを想像する。とりもなおさず、なにしろ

雪掻きをせねばならない。雪掻きといっても、5cmや10cmのそれを掻くのではない、

20cmや30cmの、重たい、頑固な雪を掻かねばならない。思うだにぞッとする。



 雪を掻こうと表に出ても、こういう状況だとすぐに疲れて、まあ使い物にはならない。1m

ほど雪掻きして、それでへたってしまい部屋に逃げ込んで炬燵で丸くなる。基本の雪掻き

でさえこんなだから、雪下ろしだとか、雪かたし(片づける)だとか、ほんとにもう思いもよ

らない。家が傾いたって、凹んだって打つ手はないんである。ホントに!


 しかしそこに現に住む人々は、とにもかくにもそれを乗り超えて生きていかねばならない

のだから、大変なことだナアとしみじみ想像する。想像だけだから、まあ楽ちんだが、実際

その場に立ったら、どうしていいのか途方に暮れるばかりだろう、きっと・・・



 ともかく一刻も早くこの冬が去ってくれることを願うしかない。と言って、どこへお願いす

ればいいのか、気象庁にお願いするのはちょっと筋違いだろうし、政府や行政にお願いし

ても聞いてはくれないだろうし、どこにも持っていき場がないようだ。


 だとすればひたすら我慢するしかない。ただしその我慢も、背中を丸め、俯いて、暗い顔

で我慢するというのは、これは面白くない。傲然と顔を上げ、背を伸ばし、キリッと前を向

いて、なんでもないような顔をして、そうして我慢したいものだ。




2026/01/29

公園の節分草に寒の風

 



 ほんとうに直径2cmほどの小さくて可憐な花セツブンソウ。


 野生ではトンとお目にかかったことがないから公園へ行き、蝋梅が咲いているその根元

に、消え入りそうに咲いているご尊顔を拝することとなる。小さいし、弱々しいし、北風に

テもなく吹き飛ばされそうに咲いているから、極ごく貴重な花のように思う。


 植えられている狭い一角に人が集まり、ともかくも写真に撮る。おばさんがスマホを近

づける、爺さんがデカいレンズのカメラで割り込んでくる、目立たない小さなカメラを持っ

た人は押し出されて、うろうろと周りを歩く。そして花は間もなく消えて跡形もなくなる。



 野生ではカタクリのように群生するらしいが、まあ見たことがないなあ。よほど環境の好

みが厳しくて、そうめったなところには育たないのだろうか。特別に綺麗だとか華麗だとか

ではないが、まだほとんど花のない早春、厳しい寒さの中で咲くから貴重だ。


 ほとんど花を見ない時期がしばらく続き、寒風ばかりが吹く日々に寒紅梅やら蝋梅やら

が目覚めて花開き、合わせるようにこの節分草も咲きだし、野っぱらでは仏の座の朱が目

立ち、オオイヌノフグリの薄い藍色に眼が惹きつけられて、なんでも花が嬉しく思える。



 春たける頃これらの花を見れば「なんだ、まだ咲いてらあ! 」と、手のひら返しのそっけ

なさだが、このころになると花は次から次、一息つくいとまもなく咲いては散り咲いては散

りするのだから、手のひら返しもバン止む得終えない仕儀なのだ。


 ほんとは、花だとか、暑さ寒さだとかに気を向けることなく過ごせれば一番いいが、なに

しろ他にやることもなく、関心を向ける先はどうしても、花や緑や、寒い暑いになっちまう。

しかしそうして日々を送れるのは、ビンボーだけれど実は有難いことだ。




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