2026/03/06

せせらぎの水音に堪えず落ち椿

 



 椿はたいてい仰向けに落ちている。


 花びらを伏せて俯きに散っている椿はあまり見たことがない。そこで、「落ちざまに虻を

伏せたる椿かな(漱石)」という句が議論になるらしい。椿の花を見るたびに、このことを思

い出して散った花びらを眺めるが、俯きか仰向けか、どちらが正しいのかわからない。


 椿を眺めるのに、小難しい物理学的理屈を考えるのは、いささか興ざめのような気がす

る。それで、同時期に咲く山茶花と比べてみたりする。大きな違いは、山茶花が花びらを

一枚ずつ散らすに対して、椿は花びらも蕊も一緒くたにぼとりと散ってしまう。



 これ以外にも細かい点に違いがあるのだろうけれど、大雑把いい加減の自分にはわか

らない。で、どちらが好ましいかと言えば、なんでか山茶花のほうである。だいいちに花び

らが一枚づつハラハラと散るのが好ましい。なんだか嫋やかな感じがするではないか。


 しかし椿の方に魅力がないではない。花の深い赤色は見て美しい。それに実から油がと

れる。この椿油は油として大変優秀なんだそうだ。食用としてもいいし、肌や髪にもいいと

言っている。(それにしては、スーパーなどで見かけないのはどうしてだろう? )



 桜のころ山極の道を歩いていて、神社の境内でお婆さんに出会った。問わず語りに、娘

時代、大島から船に乗って東京下町に椿油を行商していた、という話をした。大島から椿

油を担いで上京すると、拠点の家で寝起きし一週間ぐらい行商して歩いたという。


 若かったのでお得意さんを巡り歩くのは楽しかった、まったく苦労と思わなかった、と言

う。ただ背中の椿油が重くておもくて、それが一番辛かったと言う。今は引退し、下町の娘

の家で日を送っていると話した。お婆さんの肩に桜の花びらがハラハラと散っていた。




2026/03/05

雪形を仰ぎあおぎて畑を打つ

 



 昔は山の残雪の形を見て種まく日を決めたらしい。


 なにしろ天気予報の類これ皆無にして、まあ参考にするのは暦位だったろうと思う。それ

よりも毎日肌で感じる寒さ温かさ、雪の消え具合、草の芽吹き、そんな身の回りの現象を

参考にして、それまでのわが身の経験を加味して決める方がよかったのだろう。


 今はなにを参考にして種まきの時期を判断するのだろうか? 気象庁の長期予報などと

いうものもあるが、あれは大きに信用できるものなのか。毎日の予報にしても、2,3日先

までは信用しているが、それ以上となるとまあ参考に、という程度である。



 そう考えると、山の雪形を見て判断する、というのはあんがい理に叶っていたのかもし

れない。なにしろ雪形は季節の移り変わりをそのまんま表している。なんの手掛かりも持

たない徒手空拳のお百姓にとって、なにものにも増す情報源だったろう。


 そんな風に思って「どたん場検索」してみたら、ウェキペディアは「古来の雪形は「農業形

態の進歩」と「気象観測の発達整備」に農事暦としての役割を失いつつある」と言ってい

る。それはつまり気象庁の長期予報が農事歴として大きな力になっている、ということか。



 そう思ったから今度は「現代の農事歴」で「どたん場検索」。AIさんらしい人がこう言っ

ている。「データとスマート農業: 昔ながらの知恵と現代技術(ドローン、AI、自動化)が融

し、天候や生育状況をデータ管理して効率的な栽培を実現」という。


 やはりそうだ、世のなかは知らぬ間にゴロリと変わっていた。雪形なんぞ眺めて喜んで

いる場合じゃなかった。農事歴もAIさんやらビッグデータやらを使いまくってどんどこ進

歩していたのだ。まったく自覚なく世の中に遅れている、恐ろしいこった!




2026/03/04

春雨のひと降りごとに温かさ

 



 当地方ではときおり南岸低気圧が通り抜ける。


 この低気圧は、おおむね冷たい雨や、場合によっては雪というものを持ってくる。その間

寒さに震えながら、身を縮めて低気圧が通り過ぎるのを待つ。これが通り過ぎると、なん

でか空がウソのように晴れて、下手すると気温が上昇する場合がある。


 身に感じるのは、「三寒四温」という言葉がぴったりくるように思う。2,3日寒さを我慢す

ると、その後にご褒美のように、温かい日がしばらく続く。現象としては、あたかも春の雨

が一雨ごとに春の気配を運んでくるようだ。そうして気付かないうちに春になっている。



 雨というのはおおむね面白くない現象だけれど、春雨に限り、場合によっては許しても

いいように思う。それは粉のように細かい雨脚で、ちっとも寒くなくて、かつ明るい雨の場

合は、面白くはないにしろ、許してやってもいい。降るのを許可する。


 あとの雨はほとんど許容できない。ことに五月雨。びしゃびしゃといつまでも降り続け

て、こころの中まで黴臭くなる。近頃はそれに加えて、梅雨の一気降り、という現象もあ

る。あろうことか、五月雨らしくもなく夏の雷雨のようにドカッと降るからたまらない。



 夏の夕立は、周りの気温を低下させる、そのことだけに意味がある。目もくらむような降

り方をしたあとは、案外さっぱりと矛を収め、なにごともなかったようにセミが再び騒ぎ出

す。このまま夕方に突入すれば、もしかして今夜は涼し気に寝ることができるかナ。


 しとしと降り続く秋雨もまた決して面白からず。だいたい降るんだか止むんだか一向に

はっきりしないところがもどかしい。冬の時雨とくればもう論外に厭わしい。冷たくて寒く

て、ヒトにとって、ちっともいいことはなさそうである。出来れば降るのを止してほしい。


 春夏秋冬、いい雨というのはないものだなあ。




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