2026/03/16

宍道湖の朝静寂にしじみ船

 



 宍道湖のシジミ汁を食い逃してとても残念。


 出雲蕎麦はなんとしても、と思っていたのでありついたが、蜆の味噌汁の方はうっかり

失念してしまった。帰宅して気が付いて、大いに悔んだけれど、これはもうどうすることも

できない失態であり、もうこれから先に宍道湖を訪れることはないだろうと思うと悔しい。


 その時その時にしておかないと、「後で・・・」が利かないことは多いような気がする。子ど

もの時代が終われば子供らしいいたずらは出来ない、青年期にすべきことを中年期にや

ったら顰蹙をかうかも知れない。しかしながらこれは、その最中には案外気づかない。



 宍道湖の味噌汁は悔やまれるが、翌朝松江から出雲へ向かう際、島根半島の山すその

道を走った。そのとき、波静かな湖面にゆったり浮かんでいる蜆取りの小舟を見ていたの

に、ぼんやり見過ごし蜆汁に思いが及ばず、まるで阿呆みたいだがほんとのことだ。


 道中、島根半島の山すその素朴な田舎の光景にすっかり見とれてしまい、一畑電鉄の

寂しい線路が、湖の草の中に見え隠れするのを見つめたりした。湖が見えなくなっても山

すその静かな道は続き、その景色を見ながら、ひとまずは出雲大社に至った。



 大社からの帰りがけ、今度は宍道湖の南側を抜けるべく、出雲平野を横断した。縹緲と

畑が続いて、まっ平らな土地が延々と伸びている。出雲平野というものがこれほど広いと

は、驚きだった。斐伊川が造ったごく狭い砂州だろうと、見くびっていたのだ。


 今思い返せば、島根はなんだか懐かしい。湖も半島も平野も、太古の昔からその地勢

をあまり変えないで現代に繋がっているように感じる。おそらく無暗やたらな工場や高層

マンションなどがないせいだろうと思う。島根はいいところだ。




2026/03/15

春雷を遠くに聞きて旅支度

 



 旅は人々の憧れだと思う。

 

 観光、旅行いろいろあるけれど、「旅」と書いてみると、単なる体の移動ではなく、なにか

行った先の人との関わり、みたいなものが付着しているように思われる。だから単に行っ

た先の風景を見、旧跡を訪ね、だけじゃない、微かな期待とまた畏れとを感じる。


 乗り鉄の知人はこう言っていた。「ローカル線に乗る楽しみは、車窓風景もさることなが

ら、乗り合わせた婆さんや爺さんと話をすることだね。二言三言でもその土地の話を聞く

のは楽しい、例え方言がきつくて半分以上理解が及ばないとしてもだ」



 昔の人は予定も計画も立てず、まるで行き当たりばったりのようにして旅をしたらしい。

荷物だって巨大なゴロゴロを引っ張たりせず、小さな振り分け荷物程度で極身軽に出か

けた。芭蕉の旅もそのようであり、各地の知人が宿も飯も十分にお世話してくれたのだ。


 菅江真澄のことを書いた本を見たが、彼こそまさに放浪の旅の生涯を送った人であった

らしい。30歳ぐらいで故郷三河を離れ、以来みちのくや蝦夷地を経巡って、秋田あたりの

豪農に止宿して日を送り、遂に故郷へ帰らず旅の異郷の空で生涯を閉じた。



 昔はどうもこの手の放浪型の旅ができたらしい。生活に必要な一切合切を旅先の泊ま

り宿で見てくれるわけである。その代わりに農家を手伝え、とも特段要求されなかったよ

うだ。泊めてくれる農家にとっても、諸国を経巡った真澄の話が興味深かっただろう。


 これを現代に引き移してみるとどうなるのだろうか。日本各地を放浪する、という意味合

いでは車中泊などが似ているかもしれない。しかし車中泊は地元の人との交流が少ない

ようである。東南アジアで交流を深めている例がある。コンドミニアムなどと言う安宿に泊

まり、地元民と交流しながら旅を続ける人(高齢者)もいる。


 「旅」は案外「案ずるより産むが易し」なのだろうか。


 


2026/03/11

芦野にて柳に偲ぶ西行忌

 

                          (ネットより拝借)


 春まだ浅い時期に芦野の遊行柳へ行った。


 空はすっからかんに晴れて、温かい風が吹いている。那須野原というのか、低い丘陵が

連なる野は広く、遠くの山は紫に霞んでいる。歩いている細道の土手には、若草が萌えだ

し、タンポポの黄色が点々と連なり、連翹が明るく輝いて、とても気分がいい。


 芦野の里道に入ると、田んぼが広がり畦道に可憐な野の花が咲いて、家々の庭には梅

や桃や木瓜の花が咲き、桜もまだ散り残っていた。黒い瓦を乗せた昔ながらの家が点在

し、花に囲まれた里だが、田んぼにも道にも人影はなく、眠ったように静かだ。



 遊行柳は芦野の里の田んぼの中にあった。周りには何もなく、水を引き込む前の田ん

ぼが広がっているばかり。畔のような細道を辿っていくと、狭い畦道に若い柳の木があ

り、柔らかな緑の芽が微かな風に揺れている。桜も一本あったがすでに散ったらしい。


 辺りを見回すと、素朴な自然石の歌碑や句碑が並んでいる。「道のべに清水流るる柳か

げしばしとてこそ立ちどまりつれ」・・・これは西行の歌碑。芭蕉も奥の細道の途次ここに立

ち寄っている。「田一枚植えて立ち去る柳かな」の句碑。「柳散清水涸石處々」は蕪村。



 だたっぴろい那須野が原の、なんと言うこともない芦野の里の、なんでもない田んぼ

の中に、こんなにも有名人の碑が残っている。その何十倍、何百倍もの人が、このひっ

そりした里の田んぼを訪れたのか、想像もつかないけれど、よく今に残ったと思う。


 遊行柳の地にひとしきり佇んで立ち去り、また春爛漫の野道を歩いた。ただ通り過ぎ

てしまうのが勿体ないような、里道の佇まいと申し分ないほどの日和である。春の日は

まだまだ十分高い、さてこの先には、何が待ち受けているのだろう、楽しみだ。




訪問記録