2026/03/30

コロナ風去って木の芽の緑かな

 



 背中の目立たないところに密かに隠れていたらしい。


 いつの間にっくっ付いたのかわからないが、気が付いたら黒い影は真っ赤な大口を開け

て、人を頭からガリガリ齧っていた。気が付いた時はもう、喉が震え上がるほど痛かった。

水も飲めない、つばさえ飲めない、もちろん飯を食うなんぞ考えも出来ぬ。


 何事が起きているのかさっぱりわからないが、これはもう尋常ならざるところ、一晩苦し

み倒してから医者に行ったら、「コロナだね」「へ? 11月にインフレやったばっかし⁉」・・・

なにもひとりの人間を、そんなに集中して虐めんでもええやないかあ、ええかげんにしろ。



 前回のインフルは、なにしろ呼吸が苦しく、息も絶え絶え、あまつさえ肺炎も併発して、や

たら妄想が湧くわ、眠れないわ、死ぬような思いをしたが、今回はのどの痛みである。やっ

ぱり小さな妄想がわらわら湧いてきて眠れない、喉痛い。やっぱり死ぬ思いがする。


 どっちもその渦中では死ぬような思いをするが、しかしこうして苦しさの峠を越えてみれ

ば、”死ぬ思い”はちと大げさだったかな、と反省する。と共に、どうも近頃体力が急劇に落

ちているのではないかとも思う。落ち込んだところをコロナやインフルにしてやられる。



 この手の病気にかかると、回復まで4,5日、完全に寝込まなければならなくなった。さて

寝込んで夢から覚めるように世間を眺めれば、桜は咲いて満開になり、若葉はわらわら

芽吹いて日毎にぐんぐん伸び伸びと大きくなっているらしい。いつの間に観が強い。


 さてこれで、コロナ、インフルの2大ケタクソ悪しを体験したのだから、もうこの上はずう

~っとこの二つを無用にしてもらいたい。苦しまずとも好いのに苦しむ無駄、寝床に張り

突く時間の無駄、これを一掃して、爽やかな春の空の下を駆け巡らせたまえ。




2026/03/24

吹く風のままにやんわり糸桜

 



 もう少し経てば染井吉野にちょっと遅れて、糸桜(枝垂桜)が咲くはずだ。


 という認識でいるのだが、こればかりはその場所々々の日当たりなどで大いに違ってく

るらしいので断定は出来ない。現に先日、染井吉野が咲き始めたばかりの、お寺の境内

で枝垂れ桜がわがもの顔で咲いているのを見たばかりだ。


 桜も種類ごとに決められた通り、きちんきちんと順序を追って咲いてくれなければ困る。

なにしろ順序が乱れたら、それでもうパニックに陥るタチなのだ。まったく応用が利かな

い、こころにちっとも柔軟性がない、順序が乱れたままずんずん進んだ日にゃ発狂する。



 「糸桜」とも「枝垂桜」とも言うらしいが、これは桜の品種ではなく、どうやら性質であるら

しい。枝が細く枝垂れる、枝が固まる前に先から先から枝が伸びる、そういうタチなので

枝垂れてしまう。ホントかいな、とも思うがそのように教えられた。


 「どたん場検索」すると、「主にエドヒガン桜の変異種で、枝が細長く、柳のように垂れさ

がる桜の総称・・・」と書いてある。エドヒガンと言えば、かの染井吉野のお母さんだと言わ

れている。息子は枝を垂れずしっかりしているが、ほの赤い色が遺伝したようである。



 野川の野川公園のあたりへ行くと、岸辺にこの桜が並んで咲き競い、なんだか夢の国

か、あるいは浄土の国に紛れ込んだような気持ちになる。あまつさえ、連翹の黄色や諸葛

菜の紫などが混じり込めば、どうもこの世の光景ではないような、そんな気分だ。


 近ごろ思いなしか赤い桜をあちこちで見かける。桜と言えば染井吉野一辺倒の白い花

だったが、近ごろ植えられるのは鮮やかな赤が多いように感じる。いろんな種類があるこ

とは豊かで好ましい。出来れば新しい桜の名を覚えたいので、必ず名を書いてほしい。




2026/03/23

うす緑萌えて煙って春の山

 



 いよいよだなあ、自然の変転が急がしくなる。


 こうなるまで冬は長かったけれど、事ここに至ればもう春は一瞬たりとも立ち止まらな

い。毎日々々ぐいぐいと花が咲き、散り、別な花が咲き、散り、して季節はいつの間にか進

む。待ってくれと言っても聞きやしない、知らん顔で自動機械のように進んでゆく。


 どだいが季節とがっぷり四つに組んで、何事かをしようか、というのは通用しないのだ

が、冬の間は遅々として目に付く変化がなかったので、ひょっとしてどうか成かと思った

が、これからは季節に引きずられて、なすがままに身を任せるしか手がないように思う。



 東京は大きな都市だから、自然なんてこれっぽっちしか残されていない、と先入観があ

たけれど住んでみれば、川っぷちの段丘だの、低い丘陵の上だの、そういうちょっと目に

付かないところに、自然らしき片割れが残されている。なんだったら、田んぼだってある。


 季節ごとにそういう場所を目指して歩くのはなんとも言えずいいものだ。掲載の写真も

川っぷちのほんの少しの段丘だけれど、ちょうど今頃から少し後の丘陵の山の風景がしっ

かり写っている。若葉が萌えだして、周り中が薄緑にけぶって、春だッ! となる。



 こんな場所を何年間も探して歩き倒していると、だんだんと遠くに行ってしまうことにな

る、が、遠くと言ってもまあ電車の日帰り圏であって、泊りがけで何日も、というのは考え

て見るだけで大変だから、そういうのは余り考えないこととしている。


 どこも似たり寄ったりで、なあ~~にがおもしろい! と言われるが、少し北の方へ行った

だけで若葉の鮮やかさが目立って違ったりする。また、農村の佇まいがやはりどこか違う

ことに気づいたりするから、どこも同じだと言って切り捨てられないのだ。


 ろくでもないことに興味を持ったものだと困っている。




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