土筆を見つけるとなんだか嬉しくなる。
めったに見れない、というわけでもなく、春の若菜として特別旨いというわけでもないの
だけれど、このツンツンした姿を見ると、つい摘み取りたい衝動にかられる。思うに、このツ
ンツンは、芽が出たと思ううちにたちまちどこかに消えてしまうからに違いない。
たちまち消えて、後には暴力的勢いでスギナが伸びてきて、すっかり地面を覆い隠して
しまう。親であるスギナの単調さを思えば、ツクシんぼのこのツンツン具合がなんとも愛ら
しく見えるようである。ツクシとスギナ、こんなに違う親子も変わっていて面白い。
ツクシは摘み取るところに味わいがある。思い切り摘み取ってしまえば、それでもうなん
だか満足してしまう。むかし摘み取ったのを持ち帰り料って貰ったことがある。が、もう金
輪際ツクシの持ち帰りは厳禁である、旨申し渡され以来、摘み取り衝動を抑えている。
手を真っ黒に汚してツクシの袴を取り除き、しかる後に油いためだか、お浸しだかにする
のだが、ドエライ手間暇かけて出来上がりは皿の底にちょっぴり、くたっとだらしなく寝ころ
んだツクシである。とてもじゃないが、料理の間尺に合わなすぎる、ということだ。
不思議なのは、親子でこんなにも形が違っていていいもんだろうかと思う。二つ並べて、
「親子だあ! 」と言っても「ウソだあ! 」としか言えない。そういうのがもう一つある。ふ
きと蕗の薹、長い間、ほぼ大人になるまで、これが親子だとは露ほども考えなかった。
生物はどうしてこんな複雑怪奇、魑魅魍魎的なことをやってのけるのだろうか。そう思っ
て気が付いたが、昆虫の親子もまた似ても似つかないのが多い。イモムシが蝶になるなん
ていったい誰が信じるだろう。なんのためにそういうことをやるのか⁉
世の中かは不思議に満ちている。