2026/01/27

炎して世の闇照らせお山焼き

 

                                                                                                                              (AIさん作成)


 寒中の闇夜を焦がす、若草山の炎を一度見てみたい。


 大きなお山が一つ燃え上がるのだから、さぞかし見ごたえ十分、ひょっとすると神の存在

まで感じ取ることができるかもしれない。燃え上がる炎を眺める、ということはもしかする

と、そういう超人的な存在を感じ取ることなのかもしれない、とふと思う。


 そういえば、キャンプの人は焚火の炎を眺めていると、なぜかこころが落ち着くと言う

 、盛大な焚火を見ればなんでか近寄っていきたくなる。またいろんな汚れを火で浄め

る、なんてこともあるし、どんど焼きはともあれデッカイ焚火だともいえる。



 このところ空気が乾燥して山火事が頻発、鎮火に苦慮している。山焼きなどを嬉しがっ

たら、不謹慎デアル、と後ろ指さされそうだけれど、人間が火に対して一種憧れのような

感情を持つのはどうしてだろう。原始時代から火は大切なものだったからだろうか。


 火に対する名状しがたい感情と同じような気持ちを、水に対しても持つようである。水を

見かければまずは近寄ってじっくり眺める。そしてちょっとすぐにはその場を離れ難い。こ

れは焚き火を見たときと、全く同じこころの動きだと思う。なぜそうなるのか、不思議だ。



 「火事と喧嘩は江戸の花」などと言ったらしいが、同じ炎でも火事はどうも見物する気に

ならない。その現場には「不幸」が山ほどあるような気がするし、また人の不幸を、のうの

うと見物するというのは、それこそ不謹慎であり、許しがたいことである。


 近ごろキャンプ流行りでかどうか知らないが、地面で盛大な焚火をするのは禁止らし

い。椎名誠の「いやはや隊」がやっていたような、ドデカイ焚火はもう夢物語になったよう

だ。なにしろブームというのは、いろいろ禁止さるのではた迷惑だと思う。


 奈良の山焼きぐらい盛大な焚火はどこにもない!




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