早春の花はどれも儚げだ。
まだ寒い中を大変なエネルギーを使って咲くからだろうか、その花はいつの間にかすっ
と消えて、あとに何も残っていないように思われる。例えば、セツブンソウ、カタクリ、フクジ
ュソウ・・・「や、咲いたな」、と思ううちにもう姿が見えない。あとに葉っぱも残らない。
この手の早春の花を、スプリング・エフェメラル:(Spring ephemeral)と言うそうだ。
やや! またしても英語らしき言葉、分からないから、いちいちネットさんに聞くしかない。
(ここは日本だぞう! いい加減にしてくれ! )、なんて言うのは外に誰もいないが・・・
これを日本語に訳すと「春の儚い命」となるだそうだが、日本語にすれば「春の無常」でい
いような気もする。なにしろ日本では「儚い」とか「無常」とかは得意だ。春の命が儚いかど
うか、春だろうが秋だろうが、命は昔から儚いものであって、春に限ったことではない。
Spring ephemeral は英語らしいから、イギリスではことのほか「春の儚い命」なる
現象が印象深いのだろうか。日本人が秋の枯葉が散るのを見て、深々と世の無常を思う
ように、イギリス人はクロッカスなどを見て、世の無常を思い知るのだろうか。
それはさておき、早春のこういう花はすぐ消えてしまうから、それを見るこっちは春にな
ると、なんとなく気ぜわしいような、忙しいような、そういう気持ちがするのだろうか。今年
は一つ、こういう気ぜわしい気持ちを抑えて、泰然自若、何ごともゆったりと構えたい。
暑かろうが寒かろうが、花が咲こうが散ろうが、雨が降ろうが晴れようが、目の端っこで
ちらりとそれを見るだけにして、嬉しくもなく、寂しくもなく、楽しいような、そうでもないよ
うな、そういう顔をして時間を流したいと思う。ひょっとしてこれができれば、悟りだナ。
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