蕗の薹に異常な愛着を持っている。
なんと言うこともない、どこにでも萌え出してくる、単なる草の芽なのだが、自分にはそ
のような、単なる草の芽であるとは、どうしても思うことができない。言ってみれば、これを
見たら春という抽象が、一気呵成にこの身に押し寄せてくるように感じる。
雪積る山里で育った。野山を厚く覆っていた雪が、3月ともなればさすがに溶けてきて、
田畑の畔や山道の、懐かしき土がむき出しになる。そうすると、間に髪を入れず、鮮やか
な緑の葉っぱに包まれた、ころんとしたこの蕗の薹が、あっちにもこっちにも芽を出す。
それは単に草の芽が出たのではない。閉じ込められていた長い冬の終わり、春になった
解放感、これから展開するであろう緑と花の季節への大いなる期待・・・そういった様々な
感情が蕗の薹を見た途端に、胸に湧き上がってきてはちきれそうになるのだった。
こういう変てこりんな感情を抱くのは、ひょっとして自分ばかりなのかどうか知らないが、
ともかく嬉しくなって、やたらに興奮する。その勢いが余って、手を泥だらけにして、この蕗
の薹を毟り取り、嬉々として持ち帰って、そそくさと天婦羅にして頬ばるのだった。
今でも野っぱらの畑の畔に、これが芽を出しているのを見れば、心臓が早くなりハカハ
カし出し、手を伸ばして摘み取りたい衝動にかられる。しかしそれは注意しなければなら
ない。もしかすると、その芽は畑の持主が大事に育てているのかもしれないのだ。
もう一つ、摘み取りたい衝動を抑えるものがある。以前、野っぱらのもの、例えば蕗の
薹、野蒜、ツクシなどを摘んで、嬉々として帰ったのだが、敵は「こんな面倒なモノを!
(怒)」と言って料ってくれなかった。以来、野っぱらのものを持ち帰ることはない。
「やはり野に置け蕗の薹」なのだ。
フキノトウの天ぷら、おいしいですよね。
返信削除早春を感じます。
雪国育ちではないのに、早春が好きです。
(書き直します)
削除蕗の薹とタラの芽は天婦羅の王様だと思っています。
蕗の薹の口にほどけるほろ苦さ、タラの芽のほっこり感、最高です。
早春はまだ寒いけれど、期待の季節でもありますね。
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