2025/07/07

苗育ち猛暑気がかり半夏生



 


 毎日が暑い暑いと顎を出し。


 暑いにもほどがある。連日35℃などというのは、もはや気温などと言っていられ

ない。それもまだ7月だというのに、この調子でいけば、8月の猛暑はどんな暑さ

になるのやら、想像したくもない。日本は熱帯になりつつあるのか!?


 夏がこれだけ暑く長く続くのだから、冬はぬくぬくの大暖冬かと思えば、なにや

らそうでもないようで、冬は冬で一丁前に寒い。まあ、昔ほど寒いかと言われれ

ば、どうもそうではないけれど、普通に寒い。



 だんだんと日本が四季ではなく、夏と冬の二季だけになりそうで、困ったもの

だ。日本の良さ加減は春と秋だというのに、この二つがどんどん縮まって夏、冬が

大いに間延びしてきた。特に夏は6、7、8、9月、4か月もある。


 熱帯のどこかの地方は、雨季と乾季、二つしかない、と聞いたことがある。この

本も最終的にはそうなってしまうのだろうか。そうなると四季折々の微細な違い

を愛でてきた日本人には、殺伐とした光景にしか映らないかもしれない。



 オンダン化は人為的なものだと言われているが、太陽系という大宇宙の巡りが、

たかがヒトの手によって変わってくる、というのも俄かには信じがたいような気も

する。なにしろ相手は人知を超えた大大大空間なのだから。


 人為的かどうかは、脇に置いておくとして、温暖化ガスはどこかに仕舞って出さ

ない、というのも一つのテであると思う。そうしておいて、もしも夏の凶暴な暑さ

が幾分和らいで、昔ほどの穏やかさになったら、夏に大いに遊べるではないか。


 なんといっても四季それぞれ遊べるのがいい。




2025/07/05

山百合の香りに酔いて沢辺道



 


 数あるユリの中では山百合が一番いい。


 なんといってもあの強烈な香りに圧倒される。あの香りが鼻孔を通過するとき、

なにやら酔ったようにくらくらする。またあの大ぶりな、堂々とした、王様を思わ

せる花がいい。押しも引きもされない風情で立っている。


 この近くだと、奥多摩の多摩川渕でよく見かける。どういうわけか知らないけれ

ど、平らな道っぱたには咲いてなくて、崖っぷちの危うい場に咲いていることが多

い。そう簡単には近寄れないから、毎年楽しめる。



 山百合の花が一番いいから、球根を送ってもらって、家の隙間に植えてみた。一

年目はなんとか花をつけたものの、二年目はもうよれよれになってしまった。三年

目でとうとう芽さえ出さなくなってしまった。やんぬるかな。


 環境が変わったので生育が難しいのか、育て方がまるでデタラメだったのか。な

にしろ球根を隙間に埋めただけで、ほったらかしたので何が悪いのか分からない。

それに引き換え、花屋から買ってきた鉄砲ユリに似た花は、毎年元気だ。



 ユリの根っこは食用にするという。なんと言うことをするのだ、と思う。こんな

綺麗な花のおおもとをムシャムシャ食ってしまうなんて、野蛮人と言わなければな

らない。まあ、飢饉やなにかだったら止むを得ないかもしれないが。


 そうでなく、旅館の夕飯にこれが出てきたりする。きれいな花を犠牲にしても食

うのだから、どれほどの美味かと思うが、しゃりしゃりした歯ざわりだけで、とん

でもないような旨味は見当たらない。これを食うのはやはり罰当たりだ。


 ヒトというのはほんとになんでも食うなア。



2025/07/04

みちのくに夏始りて大雪渓


 

 遥かな山に残雪が光る。


 梅雨明けの空は茫洋と霞んで、近くの山は淡い藍色に塗り込められ、空と山のあ

わいは定かならず。その先遥かな高みに空に溶け込んだ大連峰がどっかりと腰を据

え、山肌の残雪が眩しく光った。陸奥の遅い夏が始まる。


 地上が35℃だと騒いでいるというのに、こともあろうに、雪がまだ残っていると

は思わなかった。仰ぎ見て、あの雪渓に寝転んでみたら、どんなにか涼しいだろう

と思う。なんだったら、あの雪でアイスを作って食ってみてもいい。



 大昔の若かったころ、連休に八ヶ岳に登ったことがあった。やはり雪渓が残って

いて、その中でラーメンを煮て食った。ひやひやと涼しい空気に包まれた、あつあ

つのラーメンがことのほかであった。


 ところがその後、蟻の道のような細い峰々を越えてゆくのに、本物の肝を冷やし

た。ウソ冷たい冷汗が背中を伝い、足はがくがく震え、生きた心地がしない。もう

あんな思いは一度きりで沢山だ、とつくづく思った。



 以来、雪渓が残るような山には近づかない。我が帰し方は苦から逃げるをモット

ーとす。だから今仰ぎ見るあの高いの雪渓でアイスを食いたいと思うけれど、そ

こまで登る苦は勘弁願いたい。死ぬ積りならなんとかなりそうだが、まだ死ぬたく

もなし。


 それにもかかわらず人は山に登る。それもより高く、より困難な道をたどる。そ

の苦に立ち向かうさまは、想像さえできない。もしかしてひょっとすると、これは

ホモサピエンスに宿命づけられた運命なのかもしれないが、蒙御免。


 山は仰ぎ見るものだと信ずる。




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