2025/08/18

蜩や鳴き音かなしき別れ歌

 



 蜩の声を聞けば早く宿にたどり着きたい。


 暑い夏の陽も陰り、どこかの梢で蜩が鳴いている。寂しいような、哀れなような、そんな

鳴き声で一日の終わりを告げている。音量は小さいけれど、耳によく響く鳴き声である。こ

の声を聴くと、一日の終わり、旅の終わり、そして生の終わりまで連想してしまう。


 ヒグラシという名とその鳴き音は知っているが、姿を見たことがない。どこでも目にしそ

うなものだが、やはりセミだからそうそう簡単には見付けられない。是が非でも、なにがな

んでも見たい、というならば、鳴いている木の一本一本を隈なく探す努力が必要だ。




 蜩の鳴き音は、どういうわけか、しみじみとした感情を呼び起させる。これを聞いて、騒

音だ! うるさいくてかなわん‼ という人はあまりいない。秋の虫の音またしかり、しみじ

み聞くひとは多いが、騒音だから取り締まれ、という人もいない(と思う)。


 というか、我らの感情はどうしてこういう特定の虫の音に感応するのだろう。もっとも、

ライオンや熊の吠え声にしみじみしていたら、あっという間にこっちが食われてしまう。その

点虫だったら食われる心配はまずない、安心してしみじみできる。




 虫の音に、寂しさやモノの憐れを感じる「人の感情」というのは、いったいどういう仕組

みになっているのだろう。それはよく分からないが、おおむね音、聴覚に対して、感情が敏感

に反応するように思える。我らの感情は、目、視覚よりも音、聴覚により感応するようだ。


 粉雪吹きすさぶ津軽海峡の冬景色を見て、凍える寒さに立ち尽くしてしまうのだけれど、

これも腹の底を抉り出すような海鳴りの音があってこそ、いっそうすさまじく見える。海鳴

り鳴かりせば、ああ! 寒そうだな、で終わってしまうかも知れない。


 音、というのは不思議な働きをする。




2025/08/17

送り火の灯る角々宵迫る

 




 お盆の賑やかさも一段落、送り火の日。


 家々の角に松明の小さな火を灯す。ゆらゆらと火が揺れて、暑い夏の日が暮れようとして

いる。裏山で蜩が鳴いて、山肌が少しづつ薄闇に包まれてゆく。送り火もいつの間にか薄い

ベールに囲まれ、辺りに夜の闇が迫ってきた。また来年・・・か?


 お盆の終わりは夏の終わりを告げる、帰省者もそれぞれ都会に戻ってゆき、賑やかだった

まわりがやけに静かなことに気づく。空を見上げれば筋雲がたなびき、朝晩に涼しさを覚え

て、苦しいほど暑かったが、夏の華やぎもいつの間にか影を潜めた。




 さて、今年は夏を思う存分満喫しただろうか? どうも鬼の暑さにビビってしまって、いじ

けていたような気がする。NHKが、表に出るな、水分取れ、クーラーかけろ、と騒ぎ立てる

ものだから、ひとたび表に出た日にゃあ、焼き殺さるように考えた。


 これに恐れをなして、あまり表に出なかったし、暑さに身をさらすというほどのことさえ

なかった。で、今思い返してみれば、クーラーの中にちんまり籠ったきり、だったような記

憶しか残っていない。これでは夏を満喫どころの騒ぎではない。ただいじけていただけ。




 やっぱりこれではイカンのじゃないのだろうか。暑いけれど、夏にやってみたいことがゴ

マンとあるのに、脅されて恐れをなし、薄暗い部屋に籠りっぱなし、というのは如何にも情

けない。暑さの中で汗をだらだら流しながら、両手を広げ飛び出すべきではないか。


 なにしろもう後がないのだ。やりたいことは、夏だろうが地獄の暑さだろうが、何だろうが

やってみなければならない。やってみて、ぶっ倒れて後悔するか、やらずにいじけたまま後悔

するか、どっちがいいのか? 来年こそNHKの言うことなんか聞かんゾ。


 老後の夏はいじけっぱなし、では情けない。




2025/08/15




 

 八尾の「風の盆」をテレビで見たことがある。


 薄暗い街の中心にぼんぼりが灯り、三味線と太鼓と、そして胡弓が哀調に満ちた調べを奏

でる。男衆の踊りは要所要所をぴたりと決めて、いかにも男性的。対する女衆の踊りはあく

までもしなやかに、あでやかに、白っぽい着物がふわふわと流れるように踊る。


 男女ともに編み笠を眼深に被って、顔は見えないけれど、それだけに返って女性のしなや

かさ、あでやかさが浮き立ってくる。街の上空に村雲がかかって、ときおり月の光が漏れてく

る。奏でるお囃子の、特に胡弓の哀し気な調が、空へと立ち上ってゆく。




 全国的に有名な盆踊りは、秋田「西馬音内盆踊り」、岐阜「郡上おどり」、徳島「阿波踊り」

なのだそうだ。いやいや、阿波踊りが盆踊りとはツユ知らず、余にも華やかで賑やかで大規

模なので、よもや盆踊りとは思わなかった。「哀調を帯びた」はないしなあ。


 阿波踊りは新宿の神楽坂で昔見た覚えがある。たしか神楽坂のお祭りの中で阿波踊りが行

われたか、と思う。坂の向こうから大勢の男女が踊りながらこちらにやって来る。その時、

編み笠で半分顔が隠れた女性が、なんとまあ美しく見えたことだろうか。




 盆踊りは日本全国どこでも行われるし、相当古くからの伝統行事であるようだ。しかも

「日本人なら盆踊りだ」とばかり、新興の団地などでも大いに踊られる。どうも日本人の血

に沁みついた慣習であるようなので、ネットにその起源を訊ねてみた。


 AIさんのまとめによれば、始まりは平安時代、空也の「念仏踊り」と仏教行事「盂蘭盆会」

が結びついたものらしい。鎌倉、室町時代になると、娯楽的要素が強まり、江戸時代には庶

民の娯楽として定着した、とのこと。まあ、先祖供養のひとつの形だろうか。


 お盆過ぎれば秋が来るかな?




訪問記録