2025/09/27

冷かに池のほとりに秋桜



 

 八高線の沿線を歩いているときにそれを見た。


 公園の一角に、冷たそうな水が溜池のように淀んでいて、岸辺になんとまあ、桜が咲い

ていた。よく見かける縮かんだような、なんだか哀れなような、十月桜ではなく、花びらが

大きくて八重になっているのもあり、更に赤いのもあった。


 今思うとこれは、うっかりと咲きだしてしまったサトザクラじゃあんめえか、と疑っていた。

しかし念のため検索してみたら、一般に「十月桜」と言われる品種だそうだ。うっかり、「十

月桜」とは染井吉野の狂い咲き、とばかり思っていたが、やはり調べてみるもんだなあ。



 これを見たのは、まだ9月だったように思う。陽ざしは穏やか、吹く風は爽やかで涼しく、

桜が咲いているけれど、どこか秋の冷かさが胸いっぱいに感じられ、春のムン! とする

暖気はどこにもない。なのに紛れもなく桜が咲いていて、妙な気がした。


 だいたい桜が秋に咲くというのは、怪しからぬことである。桜というものはやはり、人々

が待ちにまって、開花情報なども出て、今かいまかという状況において咲くべきである。そ

れが桜など思いもよらぬ秋に、ひょいっと咲かれた日にゃあ、困ってしまう。



 しかしここの公園はあっけらかんとなにもなくて、居心地がよかった。あまりにも作り過

ぎた公園は、ごちゃごちゃ目移りがして困る。歩いていて偶然に出くわした公園だが、木が

植えてありその下に小道が曲がりくねり、そうして端っこにこの池があった。


 池の端の日陰で随分長い時間ぼうお~っと過ごした。なにしろ気分がいい、離れ難い。

歩くときはどうしても事前にコースを決めてしまうが、本来なら何も決めずに行き当たりば

ったりが一番いい筈だ、がしかし、何分にも蚤の心臓、それができない。


 脚の向くまま、は実は難しい。




2025/09/26

宍道湖の水澄んで空うろこ雲

 




 宍道湖はシンと静まっている。


 水の上に、アサリ漁だろうか、小舟が何槽か見えて揺蕩うともなく浮かんでいる。なに

もかも静かに佇んでいて、まるで太古の湖の太古の魚取りを思わせるような、一幅の絵

が車窓の向こうに展開している。ここでは音がどこかにそっと隠れている。


 松江はそもそも静かな街なんだそうだ。松江大橋を渡ってゆく下駄の音が、対岸でも聞

こえる、というような誇張もあるが、それぐらい騒音がないということだろう。車はもちろん

走っているけれど、あのいやらしいタイヤの軋みや走行音が不思議に聞こえない。



 昨晩は松江駅の近くに泊まったが、夜8時を過ぎると大通りでさえ森閑と静まって、なに

やら寂しいような気分になった。せっかくだから街に繰り出して出雲蕎麦を試し、せっかく

ついでに日本酒ももちろん飲んだ。蕎麦屋さんの店内もしっとり落ち着いている。


 いささか勢いがつき二軒目に入ると、ここもまた静かな居酒屋であった。トウキョウのよ

うに、狭い空間に詰め込むだけ人を御詰め込んで、という事がないから、わあわあ、がや

がやの人の声は聞こえない。ただ静かなときがゆったりと流れるているだけだ。



 宍道湖の北岸、つまり島根半島の南麓を出雲に向かっている。ときどき車窓の草の向こ

うに一畑電鉄の線路が見え隠れしているけれど、まず電車そのものはの姿を現さない。

道路は緩やかにカーブを描いているが、民家や集落もまず見当たらない。


 出雲はなにしろ、神様がおわします處、やたらに騒ぎ立ててはいけないようだ。森閑と静

まった中で、古代からの神々がゆったりと閑にお過ごしになるのだろう。松江といい出雲

といい、そういう神々が鎮まるところにちょうどいい、という感じがする。


 出雲は遠くそして懐かし。




2025/09/25

あぜ道を貫いて燃え彼岸花

 



 彼岸花はただひたすら真っ赤に咲く。


 葉っぱもなく、いきなり茎が立って天辺に真っ赤かだけの、なにやらワチャワチャした花

を咲かせるが、よくよく見れば、造花の妙、エラク複雑な形を呈している。どれが花びら

で、どれが蕊なのか、トンと見当がつかないが、でもまあ、花は花だ。


 この花は別名、曼殊沙華ともいう。なんのこっちゃ、と思ったので検索してみるとサンス

クリット語の manjusaka の音写だそうである。その大元は法華経というが、この花を地

方ではシビトバナともいうのは、その辺りからの、そんな関係なのかもしれない。



 西武池袋線がいよいよ秩父山塊に入るという裾野に、「高麗」という駅があり、近くに巾

着田がある。これは高麗川がぐるりと円を描いて蛇行している奇怪な地形だが、その円

の中が田んぼだったのであり、ここにものすごい数の彼岸花が咲いている。


 林の半日陰に、まるで真っ赤かっかの絨毯を広げたように、びっしりと隙間なく、彼岸花

が埋め尽くしていて、その季節になるとトウキョウあたりからもわらわら人が押し寄せる。

そしてその時だけ、入園料をぶったくるのである。まあ、秋の風は爽やかだし・・・



 「高麗」という名前からもひょっとして想像できるが、この辺りは昔の武蔵国高麗郡であ

った。奈良時代、半島から来た高句麗人が集められた、という歴史がある。それまでは、

高句麗の渡来人(難民)は付近に散在していたが、この地に集住させられたらしい。


 この時の渡来人代表者、高麗王若光は、高麗神社に祀られ、その墓と言われるものが、

近くの聖天院に今も残っている。なにゆえこういう措置をしたのかトンと分からないけれ

ど、日本人はこのころから、ガイジンを利用すれども胡散くさがる、だったのかナ。


 彼岸花は素知らぬ顔で風に揺れている。




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