2025/09/29

鮭のぼる三面川に星の夜



 

 三面川は新潟県村上市を流れている。


 村上市は越後の北のどん詰まり、山形県境に近い小さな城下町、市内の小高い丘をエ

ッチラオッチラ登っていくと、草むす城址がある。そこから眺め下ろせば、こじんまりした街

なみが広がっているが、高い建物はなく、低い家並みが連なっているばかり。


 一度訪問して、その静かで控えめな佇まいにすっかり魅せられた。市の北側に三面川が

流れそこに「イヨボヤ会館」という鮭の博物館がある。地下へ降りていくと、なんとまあ、三

面川の川波が、アクリル板の向こうに見えていて、季節になるとサケの遡上が見られる。



 街の中をぶらぶら散歩した。しもた屋が並ぶ角に「きっかわ」という店がある。入ると狭

い店先に鮭の製品がいろいろ並んでいたが、その奥の土間に一歩踏み込んで腰を抜か

すほど驚いた。巨大な鮭が無慮何百本というほどぶらさがっている。


 中には、鼻曲がりの巨大な口をクワっとあけ、もう光りを宿さない大きな目をまじまじ見

開いて、こっちを睨み据えている。そんな恨めしそうな顔を、ちょうどこっちの眼の高さにし

てずらずら並んでいる。一瞬タジタジとなってよろめき、恨むなよ、と呟いた。


 三面川に遡上してきた鮭を捕らえて、背から腹からたっぷりみっちり塩を擦り込んで、冬

の冷たい、しびれるような寒風に晒して、乾燥させるのだそうだ。それをさらに土間に逆さ

吊りしてカラカラにし、その切り身を酒びたしなどの製品に仕上げる、ということだった。



 せっかくここまで来たから、三面川に沿って走り登ってみた。すぐに山あいの道になっ

て、行き交う車は見当たらない。およそ20㎞も走ったところでダムに突き当たったが、そこ

に緑の芝生が美しい広場がある。奥三面の縄文遺跡公園だという。


 芝生の隅にストーンサークルのレプリカが、秋の柔らかな日差しの中に鎮まっている。博

物館のような建物に入って土器などを眺め、遠い昔、ここで生活していた人のことを思っ

たりして過ごした。太古のとき、美しく星が輝く三面川を、鮭がここまでのぼっただろうか。




2025/09/27

冷かに池のほとりに秋桜



 

 八高線の沿線を歩いているときにそれを見た。


 公園の一角に、冷たそうな水が溜池のように淀んでいて、岸辺になんとまあ、桜が咲い

ていた。よく見かける縮かんだような、なんだか哀れなような、十月桜ではなく、花びらが

大きくて八重になっているのもあり、更に赤いのもあった。


 今思うとこれは、うっかりと咲きだしてしまったサトザクラじゃあんめえか、と疑っていた。

しかし念のため検索してみたら、一般に「十月桜」と言われる品種だそうだ。うっかり、「十

月桜」とは染井吉野の狂い咲き、とばかり思っていたが、やはり調べてみるもんだなあ。



 これを見たのは、まだ9月だったように思う。陽ざしは穏やか、吹く風は爽やかで涼しく、

桜が咲いているけれど、どこか秋の冷かさが胸いっぱいに感じられ、春のムン! とする

暖気はどこにもない。なのに紛れもなく桜が咲いていて、妙な気がした。


 だいたい桜が秋に咲くというのは、怪しからぬことである。桜というものはやはり、人々

が待ちにまって、開花情報なども出て、今かいまかという状況において咲くべきである。そ

れが桜など思いもよらぬ秋に、ひょいっと咲かれた日にゃあ、困ってしまう。



 しかしここの公園はあっけらかんとなにもなくて、居心地がよかった。あまりにも作り過

ぎた公園は、ごちゃごちゃ目移りがして困る。歩いていて偶然に出くわした公園だが、木が

植えてありその下に小道が曲がりくねり、そうして端っこにこの池があった。


 池の端の日陰で随分長い時間ぼうお~っと過ごした。なにしろ気分がいい、離れ難い。

歩くときはどうしても事前にコースを決めてしまうが、本来なら何も決めずに行き当たりば

ったりが一番いい筈だ、がしかし、何分にも蚤の心臓、それができない。


 脚の向くまま、は実は難しい。




2025/09/26

宍道湖の水澄んで空うろこ雲

 




 宍道湖はシンと静まっている。


 水の上に、アサリ漁だろうか、小舟が何槽か見えて揺蕩うともなく浮かんでいる。なに

もかも静かに佇んでいて、まるで太古の湖の太古の魚取りを思わせるような、一幅の絵

が車窓の向こうに展開している。ここでは音がどこかにそっと隠れている。


 松江はそもそも静かな街なんだそうだ。松江大橋を渡ってゆく下駄の音が、対岸でも聞

こえる、というような誇張もあるが、それぐらい騒音がないということだろう。車はもちろん

走っているけれど、あのいやらしいタイヤの軋みや走行音が不思議に聞こえない。



 昨晩は松江駅の近くに泊まったが、夜8時を過ぎると大通りでさえ森閑と静まって、なに

やら寂しいような気分になった。せっかくだから街に繰り出して出雲蕎麦を試し、せっかく

ついでに日本酒ももちろん飲んだ。蕎麦屋さんの店内もしっとり落ち着いている。


 いささか勢いがつき二軒目に入ると、ここもまた静かな居酒屋であった。トウキョウのよ

うに、狭い空間に詰め込むだけ人を御詰め込んで、という事がないから、わあわあ、がや

がやの人の声は聞こえない。ただ静かなときがゆったりと流れるているだけだ。



 宍道湖の北岸、つまり島根半島の南麓を出雲に向かっている。ときどき車窓の草の向こ

うに一畑電鉄の線路が見え隠れしているけれど、まず電車そのものはの姿を現さない。

道路は緩やかにカーブを描いているが、民家や集落もまず見当たらない。


 出雲はなにしろ、神様がおわします處、やたらに騒ぎ立ててはいけないようだ。森閑と静

まった中で、古代からの神々がゆったりと閑にお過ごしになるのだろう。松江といい出雲

といい、そういう神々が鎮まるところにちょうどいい、という感じがする。


 出雲は遠くそして懐かし。




訪問記録