2025/10/20

美保の関静まり返って秋の暮れ

 



 

 美保神社へ行ってみたらなんとも静かなところだった。


 目をむくような大きな拝殿が、威風堂々、どっしりと建っているのだけれど、人がいな

い。「関の五本松」とか言って歌に唄われるほどだし、神社は堂々として立派だし、もう少

し観光客というものがいるものだと思ったが、オバさんがひとり参拝してるだけだった。


 今から思うと、なにしろ島根半島の端っこの端っこにあり、交通に難あり、とも思われる。

我らは米子半島から車でひょいっと水道を越えていったから、交通不便とは思わなかっ

た。が、神社までの道々、なんだか人が少ない土地だとは感じられた。



 恐れ入ったる面持ちで神社の参拝を終え、ふと見るとトンネルのような、細い道が境内

から続いていた。なんだかここへ入っていくと、そのまま異次元の時空に行っちまうような

気がした。森閑として人ひとりの影さえ見当たらない。


 看板には「青石畳通り」とあって、なんでも雨に濡れると石畳が青く光るのだそうだ。時

期が秋のはじめ、雨は降りそうにもなかったのが、ちと残念だった。それよりもここに一

体人が住んでいるのだろうかと、いぶかるほど何の音もせず、やはり異次元だった。



 出雲への旅を終えて今、ふつふつと頭に浮かんでくる「うたかた」のような思いは、なに

しろ島根県全体が、まるで秋の暮れのように静かだったということ。出雲半島も森々とし

て日本海に浮かんでいるし、宍道湖だってレジャーボートがカッ飛んでなどいない。


 出雲大社も静寂な森を背にして静かだったし、松江の街中も音が消えていた。もっとも

尋ねたのが「神有月」でない、変哲もない時だったせいもあるかもしれないが、この静かさ

がことのほか自分には好ましかった。土地の佇まいもまた、閑寂の気を醸し出していた。


 無理して行って来てほんとによかった。




2025/10/18

ゆかしさや陽に照り映える式部の実

 



 ムラサキシキブの実はきれいだと思う。


 花もきれいらしいけれど、なにしろ小さい、それだからあまり目立たない。それゆえに、し

げしげと見たことがない、が、10月ともなれば、きれいな紫色に染まった実が、オラオラ、と

葉っぱの表に顔を出し、大いなる自己主張を展開してくる。


 この木(落葉低木であるらしい)は、山道などではあまり見かけないが、家の近く、民家

のあるところでしばしば見かける。見かければどうしたって、まあ一枚、とそそくさと撮影し

にかかる。もう何回も写したんだから、よせばいいのにと思いながら、また映す。



 なんと言っても紫の色合いが深沈と沈んでいるようで、それでいて陽ざしに浮き上がっ

てくるようで、まあなんとも言えない色だ。見ようによっては、小さな小さな宝石のようで

あり、アメシストの輝きさえ感じられるほど。(アメジストを実際に見たことないけど・・・)


 紫色は、仄聞するところ、古代のやんごとなき御方に限ったものだという。だからエライ

と思うのではなく、色そのものがきれいなのだ。名前がまた、ムラサキシキブなんていう古

代王朝の女性の名と同じだから、イヤ増してやんごとなさを醸し出しているかも。



 これに限った話ではないが、自然が作った形や色合いは、どう人間が頑張ってみても追

っつかない。だからこそ、花を愛で、宝石に憧れるのだろうけれど、月にロケットは飛ばせ

ても、自然が創ったものを何一つ創れないのだから、あんまり威張れたものじゃない。


 それだから、まあなるべく謙虚にしていたいと思う。しかしあんまり謙虚正直イッテバリ

だと、金儲けサギの餌食されないとも限らない。謙虚であってしかも油断なく。これはこれ

でなかなか難しい難儀な業だ。この世に生きてい行くのは、これで案外難しい。




2025/10/17

離村するひと見送るや秋の風

 



  

 限界集落なるものはどんどん増えているのだろうか。


 実態をよく知らないが、たぶん増えているのではないかと思う。これに関しては30年ほ

ど前の、「花のあとさき」というNHKドキュメンタリーが深く印象に残っている。秩父の山

間地にすむ老夫婦が、もう畑も出来なくなって、そこへ花の木を植えてゆく話だった。


 が、その集落はなにしろ不便、住民が一人去り二人去って、遂には誰もいなくなってしま

うという、まるで限界集落が崩れてゆくその過程を見せてくれた。それで、限界集落とい

う、単なる言葉だけではなく、その現実を目の当たりに見たような気がした。



 しかし、と余所から、それもテレビを通して見ていた、アホンダラはこう思った。医者もね

え、スーパーもねえ、そんな不便な土地に頑固に住み続けなくてもいいじゃないか、さっさ

と街場に降りていって、そこで安楽にゆっくり暮らせばいいんでないかい、と。


 今思えば、しかしこれはやっぱりよそ者の勝手な考えであったと思う。そこにあくまでも

住み続けたいという、そういう、人の心情を一個だに考慮せざる、アホな考えであった。長

年暮らし、苦労を重ねてきたその土地がどれほど大切なものか、汲みとれなかった。



 ところで、日本はどんどこ人口が減っているらしい。これはもう、ちょっとやさっとではど

うにも止めようがないらしい。そいうすると限界集落なるものもどんどこ増えていくのだろ

うと思う。これもやっぱり、ちょっとやさっとではどうにもならないに違いない。


 で、翻って、人口が減る、それのどこがイカンというのだろうか。アホンダラはそこがよく

呑み込めない。人口が減れば、今まで死ぬほどだった住宅難も解消、大学だってゆるゆる

入学、通勤地獄解消、ひとり当たりの土地が広くなって、ゆったりできて、いいことづくめ。


 山間部が限界集落となって、そして消えてゆく、そこに長年住んできた人たちの思いは

それとして理解しようと思うけれど、人口減少に伴う致し方ない状況であれば、それはそ

れで仕方がないと思う。また、人口減少そのものだって、悪いことばかりではなさそうな。


 行く川の流れは、万物流転!




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