2025/10/22

振り仰ぐ野山の錦北の旅

 



 山肌全部が紅葉に燃えている。


 全山錦織り成す、という感じで思わず目を剥いてしまう。これが自然の山というものな

んだろうナア、いま住んでいる地域はとてもじゃないが、こんな按配にはならない。なにし

ろ杉や檜ばっかりで、鬱蒼と、黒々として秋を迎えているから、見るべきものはない。


 紅葉はやはり北国のものではないかと思う。ことに北海道ならば、赤や黄がことのほか

冴えて美しく、なおかつ雄大な景色が広がるらしい(なにしろ実際の景色を見たことがな

いのだから、悔しい! )。写真で見てさえ、なにしろ気宇壮大な気分になる。



 東北地方だってユメ侮るなかれ、その宏壮さにおいて北海道にちょっと及ばないかもし

れないが、なにしろ重なりあう山肌すべてが赤や黄や緑に覆われて、柔らかな穏やかな陽

ざしをきらきらと照り返す景観は、これはもう何とも言いようがないくらいだ。


 おい、おい、京都を忘れちゃいませんか? 忘れているわけではないけれど、あれはなん

というか、人の手で造り出された景観のように思う。それはそれで見事なのだろうが、や

はりなんと言っても、自然が作り出す眺めに勝るものはないようだ。



 北海道はもう初雪だとテレビが言っていた。とすると錦織り成す壮大な眺望も雪に枯れ

てしまうのだろうか? ほんとに紅葉の時期は短い。一週間もすればすべてが茶褐色に変

わってたちまち灰色の冬景色なってしまう。雪の景観もまたそれはそれだろうけれど・・・


 このところ、こっちも、うんと寒い。大慌てに慌てて冬の衣服を引っ張り出し、足温器さえ

持ってきて電源を入れた。このまま冬に突入だとすれば、なんとまあ、秋はあっという間だ

ったろうか。怖れているように、春と秋がぐっと縮んで、夏と冬ばっかりになっちまうのか。


 さあ、寒さに向けて一丁気合を入れるか。 


 

2025/10/21

眺めやる佐渡は秋天高くあり




 

 良寛の視線の先に佐渡がうっすら見えている。


 空は晴れあがって穏やかな陽ざしが降り注ぎ、日本海は青く穏やかで清々しい。とき

き波が寄せて崩れる優しい音が聞こえてくる。疾風怒濤の日本海はまだまだ先のようだ

が、裏山の木々の梢がほんのりと色付いてきている。厳しい冬が来るのだろう。


 良寛の背中がどこか寂しそうだが、向こうへ廻って顔を覗き込むと、目が吊り上がって

狐のような顔をしいている。優しい好々爺の面影は見えず、厳しい修行僧の風貌を見せ

ている。里の童と蹴鞠を突いて遊んだような、そんな顔つきではなかった。



 佐渡島は、ふたつの峰の間に僅かな平地があるだけで、ほぼ山ばかりという印象の島

である。その平地の狭い道を走ると、漆喰ではなく板壁の家々が並んでいて、その板壁

も厳しい潮風にたわめられ、剥がされたりしていた。寂しい風景が目に映った。


 宿の風呂場に畳みたいなものが敷かれてあったので、とても驚いた。その畳みたいなと

ろで体を洗うのだ。お湯は真っ黒けのケで、これもまたびっくりしたが、お湯そのもの

は、しっとりと優しく肌を包み込んで、まったりと入っていられる。



 狭い山道を辿って、むろん金山にも行ってみた。なにがしかを払って狭い坑道に入る。

暗くて狭くて寒い坑道のところどころにマネキンが置いてあり、電気仕掛けで腕を動かし

ている。なにやらオバさん風の女性もいて、崩したごろた岩を籠に入れている。


 むろんのこと誰もが和服の着物や半纏であって、こういう作業には大変な違和感があ

る。手にするものはせいぜい鏨と金槌、あるいはよくてツルハシであって、当然と言えば

当然だが、どれほどの厳しい労働だったかが、見しみてよく分かった。


 坑道を抜けてほっとして息を思い切り吸い込む。なんだか今まで息を止めていたような

気がする。振り返ってみると、山の頂が鉞で立ち割ったように割れている。掘って掘って掘

りまくり、遂に山まで割ってしまったのかと思った。凄いものを見たもんだ。




2025/10/20

美保の関静まり返って秋の暮れ

 



 

 美保神社へ行ってみたらなんとも静かなところだった。


 目をむくような大きな拝殿が、威風堂々、どっしりと建っているのだけれど、人がいな

い。「関の五本松」とか言って歌に唄われるほどだし、神社は堂々として立派だし、もう少

し観光客というものがいるものだと思ったが、オバさんがひとり参拝してるだけだった。


 今から思うと、なにしろ島根半島の端っこの端っこにあり、交通に難あり、とも思われる。

我らは米子半島から車でひょいっと水道を越えていったから、交通不便とは思わなかっ

た。が、神社までの道々、なんだか人が少ない土地だとは感じられた。



 恐れ入ったる面持ちで神社の参拝を終え、ふと見るとトンネルのような、細い道が境内

から続いていた。なんだかここへ入っていくと、そのまま異次元の時空に行っちまうような

気がした。森閑として人ひとりの影さえ見当たらない。


 看板には「青石畳通り」とあって、なんでも雨に濡れると石畳が青く光るのだそうだ。時

期が秋のはじめ、雨は降りそうにもなかったのが、ちと残念だった。それよりもここに一

体人が住んでいるのだろうかと、いぶかるほど何の音もせず、やはり異次元だった。



 出雲への旅を終えて今、ふつふつと頭に浮かんでくる「うたかた」のような思いは、なに

しろ島根県全体が、まるで秋の暮れのように静かだったということ。出雲半島も森々とし

て日本海に浮かんでいるし、宍道湖だってレジャーボートがカッ飛んでなどいない。


 出雲大社も静寂な森を背にして静かだったし、松江の街中も音が消えていた。もっとも

尋ねたのが「神有月」でない、変哲もない時だったせいもあるかもしれないが、この静かさ

がことのほか自分には好ましかった。土地の佇まいもまた、閑寂の気を醸し出していた。


 無理して行って来てほんとによかった。




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