2025/11/19

柿落葉現代アートの一、二枚





 柿の葉は散ってなお華麗である。

 目の覚めるような色合いを保ち、様々な不思議な形を織りなし、現代アートさながらに

見えてくる。この画像はたまたま濃い青地の中に赤い点々が、窯変天目のような模様を描

き出していて、ついつい立ち止まってじっくりと眺めることとなってしまう。


 柿の葉っぱは、萌えだした新緑のころは、表面が油を塗ったようにつやつやと陽を反射

してとても美しいし、秋ともなればこのように変身して、絵画のような趣を呈している。ひょ

っとすると柿の葉は、落葉樹の中でもモノすんごい実力者なのではあるまいか。



 秋に柿木を見れば、どうしても実の方に視線が奪われる。あの実は甘いのか渋いのか、

旨いのかまずいのか、そっちの方が大事であって、柿の葉っぱをしげしげと眺める人はそ

う多くない。しかし実力はある、だから柿の葉っぱは落葉紅葉樹の影なる実力者なのだ。


 意外なことに、すし飯を包んでその実力をいかんなく発揮するものもいる。柿の葉寿司

というのは、小さく包んだ見た目も旨そうだし、なんと言っても可愛らしい。これぞ実力で

あって、悔しかったら楓やモミジ派の葉っぱで、すし飯を包んでみたらどうか。



 葉っぱが全部散ってしまって、棒切れのような枝に柿の赤い実だけが残っている、とい

う眺めは、のどか、牧歌的、閑寂を全部ひっくるめて一語にしたようなもので、人の郷愁を

イタク惹きつけて止まない。ここに夕焼けとカラスを配置すれば一層懐かしい。


 この点でも並々ならぬ実力者であるのだが、惜しむらくは人がその実力を正当に評価し

ない傾向がある。「なぁんだ、柿かあ! 」で澄ましてしまっている。これでは柿がかわいそ

うである。その実も花も木も地味々々ではあるが、実力はやはり正当に評価したい。

 やたら柿の依怙贔屓だが、好きなんだこの実が・・・




2025/11/18

小春日にインフルエンザの床を上げ

 



 いやはや、この半月がすっぽりとどこかへ消えてしまった。


 ように感じたインフルエンザの日々だった。まさか自分が罹患する、などと考えもしなか

った。なにしろ丈夫一式の体だし、流行り病にそそのかされほど神経がこまやかではな

いし、あくまで原始的にあくまで粗雑にできているはずなのだから、と思っていた。


 高熱は出なかったけれど、呼吸がやたらに苦しい。寝ていると眼前にスマホ画面が現

れ、真ん中が丸く白っぽい棒杭のようなものが浮かんできて、それはどうや喉と気管支で

あって、棒杭のようななものをもっと広げて息の通をよくしろと訴えてくるらしかった。



 それが一例で、スマホ画面は次から次、現れては何事かを訴え、命令し、指示する。どう

も本人はスマホ画面をちょこっと何かすると、この苦しみから逃れられるのだと思い込ん

でいあるらしい。現実は虚空の中で目を瞑っているだけで、スマホ画面など見ちゃあいな

いのだが、それがわらわらと立ち現れ、スマホ画面の夢想、幻想が止まらない。


 ここの於いて幻想と現実が逆転した。苦しさの中で脳に浮かんだスマホ画面は、我が幻

想のなせる業、だが当人にっとっちゃあ、まったくの現実である。画面をちょこっとなんとす

れば苦しさから逃れられる、と思い込んで揺るがないのだから・・・



 スマホ画面の方が幻想なのだ、と言い聞かせてやっとこの幻想が減ってきた。しかし息

苦しさはちっとも減らない。別な医者に行ったら「肺炎よ! 」と言われ、なんだか段々と

大ごとになってゆきそうな気がする。またまた馬に食わせるほどの薬をもらった。そうして

ここへきて、ようやく回復の兆し、ああ! どこかへぶん投げてしまった半月の日々。


 でもまあ、永久にぶん投げっぱなしにならずによかったかも。



2025/11/03

托鉢の僧の列ゆく初しぐれ

 



 いつかなにかで見た映像だけど・・・


 寺の門が重々しく開き、墨染めの姿に網代傘の僧がぞろぞろ出てきた。雨が降ってい

る。骨を凍らせるような冷たい雨、しぐれ。そんなものを一向に気に掛けるふうもなく、僧

たちはわらじの足を冷たい雨の中に運んでゆく。寒くてイヤにならないんだろうか。


 そうして山を下りて街に入り、びしゃびしゃしぐれる中、一軒一軒の戸口に佇んでなにや

ら読経をしながらひたすら待つ。やがてオバさんが現れてなにやらを僧が持つ袋に入れ

てくれる。僧は軽く一礼して、なにごともなかったかのような顔で次へ廻ってゆく。



 北陸山陰を旅行したとき、おおむね晴れの日が続いたが、ときおり晴れていると思った

のにいきなり霧のような雨になってしまう、ということがよくあった。これはしぐれではなく、

秋雨の類だったかもしれないが、ほんとに北国日和定めなきだなあ、と思った。


 砺波平野の散居集落を眺めようと、丘に登ったとたんにこの霧のような雨が降り、せっ

かく楽しみにしていた眺めが、まるっきり霧雨にけぶってしまいワヤであったし、足立美術

館の風景にイタク感激して駐車場に戻ってみたら、同じように霧雨が降っていた。



 かの地方では、いまごろ秋雨ではなく、本格的なしぐれ空になってしまったのではなかろ

うかと思う。これはもう秋雨のようなヤワなものじゃなくて、雪の前兆の、しっかりした一人

前の氷雨、骨の髄まで沁みとおって凍らせる、ほんとにイヤな奴なんだろう。


 そして間もなく、空に分厚い黒雲が被さり、ちらほらと冷たく白いものが落ちてきて、何

もかもを鬱陶しく閉じ込める毎日が、うんざり、がっかりするほど続くのではないのか。ち

ょっとだけ、この時期のかの地を見てみたいと思うが、なにしろ寒いだろうなァ。


 こんな根性じゃ、ダミだこりゃ。




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