2025/12/19

図書館で多く借出し冬ごもり

 




 本を買わなくなってもう大分経つ。


 買いたい本が分からなくなったし、市の図書館が近場に新築されたので、もっぱら図書

館を利用するようになった。と言っても、ほんの時たま立ち寄って借り出してくる程度であ

って、無暗に立ち寄ってごってりと本を抱えてくる、と言う真面目さは持ち合わせない。


 単行本をいそいそと読む人が、ほんとの本好きな人だろうと思うが、こちらは専ら文庫

版、新書版である。こっちのほうが小さくて軽くて、もち運びが楽ちんだ。寝床で寝っ転が

って読むのを常としているので、重くておっきい本はなかなか扱いに困ってしまう。



 昔買った本が本箱に無暗やたらに押し込まれ、茶色く変身した紙屑のような按排になっ

ているが、捨てよう棄てようと思いながら、なかなか実行できずにいる。今は無用の紙くず

とは言え、いささか惚込んで、夢中になった過去もあり、ポイっというわけにいかない。


 なかなか捨てられない古女房みたいなものかと思うが、よくよ~~く考えてみれば、今

どきは向こうがこっちを、いとも簡単に鼻歌交じりで捨て去る世の中、まあ捨てられなかっ

ただけ儲けもの、なんと言っても家事全般、死ぬほどめんどくさいからなあ。



 冬ごもりなどと、こと改めてしないだろうけれど、寒いからやっぱり出不精になる。これが

雪に降り込められる北国などでは、実質的に籠ってしまう結果になるのだろう。かてて加

えて寄る歳なみ、よほどの用事があって、オーシ! と掛け声でもかけぬば出られない。


 そのような状況に立ち至れば、やっぱし頼るのは本。スマホ、パソコン、ネット、SNSの時

代だけれど、こっちの新しいメディアはまだ発展途上であって、成熟していないように思

われる。古い人間だと罵られようが、やっぱり本に勝る冬ごもりの道具はない。


 だけどほんとに読むのかなあ⁇




2025/12/18

冬ざれた里の遥かに雪の峰

 




 信州松本市のあたりで周りを見回すと、息を呑む光景が広がる。


 地上は冬ざれた寂しい眺めだが、ふと上空に眼を向けると、遥かな蒼穹に真っ白な雪が

テキレキと輝いている。雪の峰が、とんでもない高みに浮かんでいる。こういう光景は普

段目にしないから、なんだか神々しいような気分が沸き上がってくる。


 松本のあたりに住んでいれば、冬と春にはこういう景色が毎日展開するのだろうと思

う。冬には日ごとに白さを増す峰々、春には麓から緑が増す風景、これをタダで目にす

ることができる。羨ましい限りだが、毎日その景色に息を呑んでいては呼吸が苦しい。



 信州はいたるところ絶景の宝庫のような気がする。松本安曇野は山と川の美しさ、姥捨

てから見る善光寺平の水田の光景はひとしお。上田小諸は水と里の織りなす美しさ。佐

久平は浅間山の眺め。高遠は風の涼しさ。木曾街道は今に残る宿場のなつかしさ。


 信州がもう少し近ければなあ、と思う。日帰り旅行と言うのがちと無理であり、どうして

も泊りを考えねばならず、予約だとかなんだとか、ともかくめんどくさい、が前面に出てし

まう。好きな時にひょいっと行って帰って来る、という事が気軽にできないから困る。



 今後もなおもって信州に行ってみたいと思っているが、なにしろ人気観光地であるだろ

うから、できれば人があまり行かない時期に、人があまり行かない場所に行きたい。世の

中そんな都合のいいことばかり行くもんか! (怒!)・・・だよなあ!


 もし都合よく行くならば、塩の道と呼ばれる千国街道や、白馬青鬼の古い建物群など

を、日がなぶらぶら歩きながら巡ってみたいな、とこれは一つの夢物語。夢を持つのは大

切、ひょっとしてもしかすると、夢が現実になったりする。油断してはいけない!




2025/12/17

短日や窓辺に揺れるあんぽ柿

 




 干し柿がまだぶらさがっていた。


 陽だまりのベランダは、冬日を受けて温かそうだが、なによりも柿が干してある情景は

強烈に郷愁を刺激して、思いもかけず懐かしく思う。一瞬にして時間が短絡し、子供の時

に、たぶん目にしたであろう光景を、ありありと脳裏に浮かべてくる。


 窓辺にほんの少しばかり干してあるのも、なにやら可愛らしく思えるし、生産者が屋敷の

あらゆる窓辺に鈴なりのように、すだれの如く干してあるのにも郷愁を感じる。これはあな

がち、谷内六郎の絵に感化されたばかりではないだろうと思うが、どうだろうか?



 山梨塩山の野っぱらを歩いたとき、古民家の日当たりという日当たりに大きな柿がびっ

しりと干してあるのを眼にした。あの独特な、屋根から庇が突然飛び出したような古民家

だったが、屋根の軒下、窓辺、庭の干し台の上、どこもかしこも干し柿だらけだ。


 塩山のは、枯露柿(百匁柿とも)いう巨大な柿で、それをなにやらで燻蒸してから、一個

っこ縄に結び、軒下などにぶら下げるだというから、大変な手間暇がかかっている。試

みに一つ食ってみたら、肉厚でとろとろと蕩けるように甘く、思わず目をむいてしまった。



 12月も中旬になって、干し柿も窓辺を離れ、それぞれ行くべき場所に移動してしまった

と思われるが、たまたまここでは干し柿を作るのが遅れたかどうか、ぶらさがったままだ。

ひょっとして、この柿は子供たちのおやつであって、ゆっくり作っているのかもしれない。


 日が極限まで短くなって、日当たりの時間も少なく、ゆっくりじっくり日に当てた方が、お

いしい干し柿ができるのかもしれない。冬至まであと6日、残り少ない短日を、それはそれ

としてゆるゆると味わいながら、冬至を乗り超えたいと思う。





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