2025/12/24

子も育ち遠くに去りぬクリスマス

 



 ジングルベルの季節だが街は意外と静かだ。


 と言うか、こっちの意識がクリスマスから遠く離れてしまったのでそう思うのかもしれな

い。クリスマスの真似事をしたのは、まだ子供が小さい時で、ある年寝床にプレゼントを置

いたところ、目覚めた子供がひどく驚き、長男がなにやら悩み始めたことを覚えている。


 サンタさんが夜中に来てプレゼントを置いた、なんてどう考えてもおかしい、と悩み始め

たのかもしれない。小さい子にこんな嘘をこいていいのだろうかと考えさせられたが、この

時は確か、包装紙が近所のスーパーのもので、あっけなくばれたように記憶している。



 クリスマスと言えば、子供のプレゼントのほかに、年の瀬の浮かれ調子に巻き取られ、ち

ょうどボーナスなどもちらちらするから、もっぱら夜の街を呑んだくれて彷徨った。今考え

てみると、ひどく安給料でビンボーのどん底だったのに、よくも飲み歩いたものだ。


 子供が大きくなるとともに、そしてこっちの体力がなくなって無茶な吞んだくれも出来な

くなって、だんだんとクリスマスはなんだか遠ざかっていった。ただ、景気のいいジングル

ベルの音に淡い郷愁のようなものを覚えるが、それだけの話となった。



 本物のの、と言ってはおかしいかもしれないが、クリスチャンにとってクリスマスはどうい

うものなのだろうかと、ふと思う時がある。こっちはその日だけの俄かクリスチャンだった

から、そう言うことはちっとも分らない。ただのイベント、お祭りだと騒いでいいのか⁉

 

 などと思いもするが、大抵のものは輸入品で間に合わせてしまう器用な日本人であるか

ら、まあ、それでいいのだろう。しかし不思議なことに、いろんなものを輸入はするが、どう

も肝心かなめは、頑として変えないところがありそうで、ふしぎな人たちだ!




2025/12/23

海女休む苫屋に凄き焚火かな





 海女さんは冬も海の仕事をするのだろうか。


 そこは知らないのだけれど、まあ厳冬の今ではなく11月ごろならば、もしかして海に潜っ

て貝などを獲っているのかもしれない。なにしろ現実の海女さんをまじかに見たこともな

いし、海女さんの仕事を調べたわけでもないので、実にイイカラカンの話なのだ。


 しかし彼女らが海に潜って漁をする姿をテレビなどで、見ると、いやはや実に大変な仕

事だなあ、と思う。水の中に潜るということを、例え2,3mほどの潜りにしろ、なまじに知

っているだけに、4mも5mも潜るという事がいかに大変な所業であるか分かる気がする。



 潜りを終わっても、彼女たちはそのままスタスタと家路を急ぐ、などということはなさそう

である。たいてい、「どっこいしょ」と浜辺の苫屋に引き上げてきて、狭い苫屋がどうにかな

ってしまうほどの盛大な焚火を作り、貝などを焼きながら焚火で暖をとる。


 そうすると疲れ切っているから、おのずと眠くなって「あ~、ああ~~」などと言いながら

ごろりと横になって、本格的で決定的な休憩体制に入る。こうしてその日の海の疲れを、

どこか遠いところへ雲散霧消させ、清々しい気分で家路をたどるらしい。



 これはもちろんテレビ映像などを通じて、かって次第にイメージしたものだが、AIもまた

同じようにイメージしたらしい。一発でこの画像ができてきて、「おおッ、すげえ! 」などと

血迷ってしまって、迷わずこの画像にしてしまったが、はたしてどうか。


 ほんとの海女さんの暮らしは、あんなテレビみたいなもんじゃねえ! という事かもしれ

ないけれど、街場のサラリーマンの暮らし位は、なんとか想像できるところだが、漁師、農

業、代議士、弁護士、医者、大学教授・・・これらの暮らしはトンと想像の外にある。


 日本人お互いを緩く想像しつつ暮らして。




2025/12/22

あしたから陽は蘇る冬至風呂





 いよいよ冬至である。


 一年暦日、特別だと意識する日はないけれど、冬至だけは別である。明日から陽の長さ

が変わり、世のなかが明るくなる日だという、特別な思いがある。春、秋の彼岸もまた何が

しか思うところのある日となっているが、冬至は特に思い入れが深い。

 
 なんといっても冬至は、一陽来復、復活の日である。明日から少しづつ日脚が伸びて、

それにつれ陽射しもだんだん強くなって、と思えばどうしても嬉しくなる。寒さは後しばら

く続くけれど、なんと言っても太陽が復活せにゃあ、まずは話にならない。




 これはもう世界的なことだから、地球上のさまざま地域でさまざまな祝祭が行われるら

しい。特に北欧では、極夜というトンデモな現象(下手するとこのとき欝になるという)があ

るそうだから、太陽の復活を待ち望む気持ちは、イカばかりであろうかと想像する。


 それで日本では、この日に「カボチャを食う」(なぜカボチャか? よく分からない)、「冬

至粥を食す」(アズキの粥らしい)、「ユズの風呂に入る」(なぜユズなのか? )、などで祝う

ことになっている。なんだか訳が分からんものばかりだが、ま、それはそれとして。




 かような次第で、太陽の復活を待ち望んでいるから、明日から陽の沈むころべランダに

出て夕日を眺めることにしている。あたりまえだけど、一日二日で目に見えるほど陽が伸

びるわけではない。ただそうしていると、お正月明けごろには、「ああ、伸びたよなあ! 」と

実感できるほどになって、ベランダは寒いけれど、こころは暖かくなる。


 その季節を表すものは、古代中国由来と思われる「節季」というものがある。しかし、北

京と東京は随分緯度が違うだろうし、また気候も違うだろうから、どうなんだろうと思う。

それに比べ、冬至、お彼岸は太陽の動きだから、これは絶対、だからいいと思う。


 こんなことを考えてるなんて、随分ヒマ人だよなあ!






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