2025/12/26

窓掃除一年ぶりのすす払い

 

                                (AIさん作成)


 年末の大掃除もほとんどしなくなった。


 なんといっても面倒くさくなって、出来ればこんなことやらずにサボっていたい。そのお

かげでメリハリがなくなり、のっぺらぼうに時間だけが流れてゆく。が、しかし、サッシの掃

除だけは命じられる。「なァにもせんで、ゴロゴロしてんじゃねえ! 」と檄が飛で来る。


 雪こそ降らないが、外は寒い。北風が吹いて日差しは弱い。窓を濡らすモップの水が手

に懸かって冷たい。どう考えても面白い仕事ではないが、世のなかに面白い仕事などあ

ろうはずがない、とこれは諦めざるを得ない。まあ、ぼちぼちやることにする。



 先ずモップを濡らして窓ガラスを拭く。着いている汚れは砂埃のようなものだから、意外

に簡単に洗い流されてゆく。しかるのち、モップに着いているゴムベラのような面を、窓ガ

ラスに密着させ、ごりごり~~、と上から下に扱き下ろす。でもこれが問題だ。


 何が問題かと言うと、ゴムベラの軌跡の両端に汚れの筋が残るのだ。ゴムベラの端っこ

に汚れが浮き出す。これはしたり、とその部分を擦ると、また端っこに汚れが残る。鼬ごっ

こになって、完全にきれいにするのは無理だと思い、すぐさまいい加減で止める。



 ふと気づくと、ガラスの内側(家の中の面)に汚れが目立つときがある。これもついでに

きれいにしたいが、表側を掃除したモップをいきなり家の中に入れると、汚い水が滴るし、

家の中の汚れは砂埃ではないので、簡単には落ちない。仕方ない、無かったことにする。


 そんなことで、掃除をするとやはりそれなりにきれいになる。大いに安心して、これから

向こう一年間、放っときぱなし、なるべく触らぬように、見ないように心がけて過ごす。かく

て我が家の年末大掃除は、サッシの掃除だけを請け負うこととなって、久しい。




2025/12/25

行く年や振り返らずに前を向く

 



 なんのけじめもない日々を送っている。


 今日と明日、ただ過ぎ去ってゆく一本の時間の流れのように思っている。だからそこに、

今日、明日のけじめはない。同様にして、去年今年もまた、自分にとってけじめがない、と

思っているのだけれど、さすがにすぐ前に「新年」というべきものが立ちはだかっている。


 世の中にとって大きなけじめである新年を、まったくけじめのない気分でやり過ごすこと

は難しそうだ。いくらなんでも、年末も新年もなく、ただのっぺらぼうに時間を打っちゃる

けにはいかないと思う。少しはけじめをつけた風に振舞わねばならないのではないか。



 さて、そのけじめをつけるとは、どういうことなのか? おそらくこういうことではないか

と思っている。それはまず、今年あったあれこれを思い出し、反省すべきは反省し、よって

もって、それを来年の行動に生かすべく気持ちを新たにする・・・と言うような。


 もしそういうことだとすれば、今年の我が行動は、ひょっとすると全部が反省になってしま

う。反省しなくともいいものは一つも残らない。これは困ったことだ、猿のようにすべてを

反省しなくちゃならない。それはあまりにも辛いから、もう反省するのは止めよう。



 反省するのを止め、今年は振り返らずに、来る年を考える。キッパリ前だけをむくことに

する。とにかく来年も楽しいことだけしたいと思う。それには、まずは楽しく歩けるように、

もう少し足を鍛えたい。ちょっと歩かないでいると、我が脚はすぐサボルんだよなあ。


 そうして元気になれば、旅行にも行きたい。大それた、海外なんてものでなくていい、国

内のそこいら辺をちょこまかと見て歩きたい。国内にだって感動するものは残っているだ

ろうと思う。例えば、古街道だとか、古い民家だとか・・・そういもので満足だ。




2025/12/24

子も育ち遠くに去りぬクリスマス

 



 ジングルベルの季節だが街は意外と静かだ。


 と言うか、こっちの意識がクリスマスから遠く離れてしまったのでそう思うのかもしれな

い。クリスマスの真似事をしたのは、まだ子供が小さい時で、ある年寝床にプレゼントを置

いたところ、目覚めた子供がひどく驚き、長男がなにやら悩み始めたことを覚えている。


 サンタさんが夜中に来てプレゼントを置いた、なんてどう考えてもおかしい、と悩み始め

たのかもしれない。小さい子にこんな嘘をこいていいのだろうかと考えさせられたが、この

時は確か、包装紙が近所のスーパーのもので、あっけなくばれたように記憶している。



 クリスマスと言えば、子供のプレゼントのほかに、年の瀬の浮かれ調子に巻き取られ、ち

ょうどボーナスなどもちらちらするから、もっぱら夜の街を呑んだくれて彷徨った。今考え

てみると、ひどく安給料でビンボーのどん底だったのに、よくも飲み歩いたものだ。


 子供が大きくなるとともに、そしてこっちの体力がなくなって無茶な吞んだくれも出来な

くなって、だんだんとクリスマスはなんだか遠ざかっていった。ただ、景気のいいジングル

ベルの音に淡い郷愁のようなものを覚えるが、それだけの話となった。



 本物のの、と言ってはおかしいかもしれないが、クリスチャンにとってクリスマスはどうい

うものなのだろうかと、ふと思う時がある。こっちはその日だけの俄かクリスチャンだった

から、そう言うことはちっとも分らない。ただのイベント、お祭りだと騒いでいいのか⁉

 

 などと思いもするが、大抵のものは輸入品で間に合わせてしまう器用な日本人であるか

ら、まあ、それでいいのだろう。しかし不思議なことに、いろんなものを輸入はするが、どう

も肝心かなめは、頑として変えないところがありそうで、ふしぎな人たちだ!




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